2009年07月30日

故松原 泰道僧侶を悼む

直接はお会いさせて頂いたというのはございませんでしたが、生前の宗教者の情報網では御馴染の常に真贋とした“慈悲の精神”ということを骨身に与えておられた方というのを感じさせて頂きます 世相がひっくり返ってしまっていく中で、それに物怖じせずに仏教精神である みんなと仲良くやっていくということ 何かこういうことが一番に問われている しかしながら、殺人鬼は激増していくばかりだったし、これら殺人鬼がその正体を現すのは、第三者がまったく観ていないような隙でさえあるので、そういった立証が困難にさせてしまうのである 人の営みという生活圏内に支障が出始めたのはいつのことからだったのか、そういった人々がそこここに必ず存在していたわけで、何も今世紀始まって以来に出現したとかいうものでもあるまいに、、、などとも思わずにはいられない こうして、あの“南無の会”といった響きからのやさしい雰囲気の灯がとぼるというモノに感慨深いものがある そして、これらを引き継ぐようにその霊媒体が、何らかの肉体即ち、目で確認できるような所に宿るのだろうか 私たちは何も何らかの生まれ変わりを繰り返しているといって、人間だけに生まれ変わったわけではなく改めてそういった事象が不思議な感じに思われる 昨日なんかも汗がひどかったし、何度も飲み過ぎで気分がムカムカとしていて、寝てもいられにような状況で、何か今朝などは目が腫れぼったくなっていて、その瞼は熱をも発しているような身体的な苦痛うを強いられてもいた あれはサッシが開いていて、高速道路のざーぁっという音声に耳が汚染させられていたに他ならない あの高速道路の走行音という公害は、夜中は特に酷さを増すのである それぞれが寝静まっているというのも手伝っているというのもあるが、このような田舎の一部でのあの聴こえ過ぎる耳への公害汚染が、不眠を強いられ続ける サブプライムローンで建てた我が家では、こうした公害は、難聴を思い起こさせるように‘何もそんな音、聴こえない’というので、そういった方々には、大変苦痛にとられてしまう 反響してくる雑音がほぼ24時間365日、休みなく絶え間なく続く 高速道路が閉鎖になるような大雪に見舞われれば別としても、未だそういったシビアコンディションはほんの数回しかないように感じられてもいる 今は悪夢を観させられているように思う ‘聴こえない、聴こえない’の大合唱は物語る 自分たちさえよければいい 常にそういう調子で地域社会が構築されてきた 特に何も問題のない人と人だけが会議で、問題は何かを話し合っているようなヒマつぶしに 単に時間を割き、それらの堆積した会議資料のみが、最重要書類とされて、保存されてさえいた 何も問題なく、問題は問題外とされるといった または、‘何か問題を見つけましょう’などということになってしまってさえいる 問題が何もない夥しい人々の生き延びる行動様式を観ているという、傍観者は、それらの観客のまばらな演劇ならぬギカイを観させられ、挙句の果てには、観ていたんだから、その感想をどうぞということにまでなってしまっている そうこうしているうちに観客がほとんど姿さえ見せなくなったりした 関心もなくなった そんな人ばかりだった そういう人が包囲しているという地域社会にあって、どううまくやっていくかが、その行事といったものや、権力で押さえつけられているような人と人の間に外科手術を施すようなモノかもしれない そして、そういったことは時間もかかるのかもしれなかった ただ私には、何か別の手法がある 人間が化学反応をしているという限り、必然的なともいえる手法でもある みんながなぜ、ある部位が脳死状態になっていったかとか、それらはもう歴然とした事実だったからだ 誰にでも出来なければならないし、誰がやっても同じような効果がなければならないのだというモノでもある 蓮華合掌  


Posted by このは なさくや at 10:14Comments(0)法施

2009年07月28日

脳死社会の是非

まぁね、自身としたら惨めな感じだったけど、現実的に考えれば、経済的な陰謀めいた金銭収入が途絶えていたとしたのみで、他の人間がどーのというものではなかったというのはあった 即ちこれは菩薩行であったわけでもある ただ観えない世界では菩薩行を要求させていたのだろうが、現実的な可視化された社会では、賃金が支払われないという事実とした法的な道義的責任めいたものがあるようにも思われる 経済的貧困といったことはいつ誰の元に急にやってくるかというのは、わからないし、準備とかするようにはなってもいない しかしながら、どうしてもこのような経済的貧困というのを叩き込まれ、刷り込めさせられてもいるのかもしれない 一方で、経済的貧困といった事実の目の前にはいったい全体どういった精神的貧困が介在させられているのだろう? こういう現実は、どうしてやってきてしまったのか? 今日も、成人した障がい者が高熱を出したので、B型施設では看護不能なので、一刻も早急に迎えに来いと言った電話がかかってきた そして、私立高校では授業料減免申請書類の追加添付資料としての保険証のコピーを今すぐに学校まで持ってこいというのを高齢な家族へのメモリーとして託けが在った 電話といった悪魔の調べに似た戦慄を感じてもいた そしてまた、逃避行の計画を緻密に練り直す作業が繰り返されてもいた 慈悲だとか慈愛といった感情は微塵もないものとされているように思われてならない いっそのこと、電車網一帯に河の流れの音声だとか、小鳥が鳴いているといった自然音を大音量で流すのはどうだろうか そんなこんなを思わないでもないのではあるが、今日は私立高校生が、高校までの片道自転車で、1時間あまりのところを走っていった この高校生は、左下肢麻痺の難病でもあったが、県の難病支援を去年度をもって打ち切られていた 常時、頭痛、貧血、足の痛みは続いてもいて、難病が完治していないし寧ろ、悪化させられている極限環境に放り込まれてさえいる現状なのに・・・である こう記して、例えば健康を害されていることはなかったことにさえしてしまう現行の流れを忠実に記録媒体に保存させておくといった行動に徹するのでもある ああいったじっさは、もうかなり重症でさえあって、脳みそといったものは機能していないのでもある あのじっさは、いったい両生類の類なのかもしれない 冷血人間さながらだ そういった脳死状態を加速させてもいるのである いったい‘脳死’しているのは誰なのか 主語があいまいになってさえきてもいる 脳死した今ではあるが、本来の死後の世界という弔いを鑑みた際にあれらの絶対君主は、何もなかったことになってはいるが、無念ともされないであろう ただそういった惨めさがある もうすぐ、そういった弔いがやってきてしまうので、それらの沈没船には、相応の代償をして戴かねばなるまい こうしたものは復習といった攻撃ではなく寧ろ、正当防衛さながらですらある でなければ、無様に殺戮させられてしまって逝った仲間には、申し訳が立たない 個人的に行動を起こすことによって、何かが一ずつ変化するとすれば、こーしちゃいられないんであって、即合掌生活に入るのである 合掌生活に入ることこそが、真の経営者だともいえる 今ある空気の密度のうち、一つずつでもが繋がり合って、こーやって出来ている空気の分子同士が午となって繋ぎながらいるんだね お互いが尊重し合う姿勢でないといけないって思ってる もう既に滅亡も甚だしい 甚だしさを極めてもいる 出来れば、自動販売機のアルミ缶を飲まないでほしいのと、カドミウム汚染著しい水をのまないでくれ そして、今は地下水のヒ素汚染が急激さを増してもいる 少しは有害金属と共鳴してしまう人間の身体である水分を考えよう! ただそれだけかもしれなくなってしまった
 It's my duty to do that.  


Posted by このは なさくや at 16:38Comments(0)釣り

2009年07月28日

Cardinal

経理上の伝票を起こし、いかなる災害をも人間としての取引の対象とするのは、以前に確認した 以下は体験的な経験知なる事例であるが、これらの不当賃金未払い事件発生に関する、‘ほんと、惨めでやりきれなさすぎる思いのタケ’っていうヤツは図らずも山のようにやってくるといった調子だ 何故こうも大惨事は後を絶たないのだろうかという災害検証をしなければならなくなった その昔、世相事態が暗かった、正しく暗闇だった もうみんなが考えている何もかもが暗かったし、必然的に私はピエロ風なバカっ騒ぎを頻繁に繰り返したりもしていたのかもしれない ‘地下経済’に潜り込んでいるという怪しげな経済倫理がその辺に転がりこんでしまっていた そういったところに出入りしなければならなかった 屈託なく明るい感じに惨めさといったモノは微塵もなかった たまにフ~ッと、そういった四方山的な惨めな空気が通り抜けていくといった感じだったのかもしれない 惨めというよりは一種の寂しさというかちっぽけさかな・・・ そういったのを感じないように騒ぐ席に行っては思いっきり、そのお通夜のような場を盛り上げては、喜ばれていたような調子でさえあった だから、相乗効果かもしれなかった できれば汚いことや、辛辣なことは、早急に頭から消し去りたいというので、特に忙しくする もうやたら滅多と全くのところ、別の考えに没頭するというので埋め合わせをやっているといった感じですらあった 頑なな拒否と、また何かそれらの方向へと向かってしまわないような対策を考えることでの盾ならぬ武装化をやってるようなものかもしれない それじゃなければ、だんだんと身体が低温になってしまうのである さっきまでは冷凍だったようだったが、今は切り出されて間もない氷の彫刻の上に鎮座させられてしまっているような地獄 急に寒くなってくるときもある 何もしていないが、急に冷たくなってしまう 特に下半身だが、それらは自然治癒力を診る方には、内臓がよろしくないというのを診断され、半身浴だとかや、蒟蒻シップをやるだとか、鍼灸の先生を紹介するだとかいったモノとなってきた しかし、続けられないでいた いつもだったら何とかして治療しようとかするものなのだが、そういった一切に関しての不安が付き纏う 不安が不安を呼び込むような風でさえある 「どんなことが不安ですか」という宗教者 子どものことが一番に不安が積もり積もっている 一生、障害児の親というのをやらされなければならないという不安 仕事のことでの不安はもっと大きい、何か社会的な不都合が、なくならない不安というものに関しての憤りというのは強く感じられてしまう その中でのこの人権無視の今のこの地域社会をどうしたら、子ども達が、自分の長所というものをきちんと表現できるのかどうか、それが出来なければ、いつまでたっても、自己像というものが育まれてはいかない 善い自己像を持って生きている 社会的責任を果たしている目標足るおとながいるのかどうかというものは、一つのステイタスであって指標なのかもしれなくもない 周囲を見渡したときにそういった何らかの指針を話したくなるような目標とした人間というのは、どこにいるのだろうか・・・? これらの疑問におとなサイドが最も否定的なのでさえあった 人権という唯一の尊厳といった品位であるとか、これらの学習がないからに他ならない そういうのはもういいという もういいというのはどういった意味なのか? 或るご婦人は、「人権はもうみんなしっかり出来ている」という どういう風なのがきちんと出来ているのかという問には答えられないのだが、兎に角もううんざりするとだけ云う 相変わらず、子ども達の自己評価というのがない こういう長所が好きで、こういうところを褒めたいだとか、そういった自己認識が出来ていないように感じてしまう いつも相変わらず飛ばし飛ばしで来てしまっていた なんで、こういったものは繋げていくといった面倒な手作業を介されてしまうので、やりきれなさで一杯でもある ところで、今からざっと1●年前のことだろうか、、、そもそもあの忌わしい斎場が職場になる以前、何をいったい職業としていたかというのを回想してみると、確かあれは、フル回転営業の居酒屋駅前店とか、当時深夜の女性勤務が問われていたとも思った(平成9年男女雇用均等法改正)がそんな時期だった ほんとにその居酒屋って言うのは辛かった 何が辛かったかと云えば、夕方5時から朝5時という勤務体制にその多くはあった 普通のサラリーマンが帰宅してくるような時間帯の電車に乗り込んでの出勤である 昼夜逆転の感もする あれは季節的には、夏だったかで、しかもあの店は、新装開店というおめでたさの最中でもあった 出勤していくと、すぐに制服に着替え、ティッシュ配りに通りへと出て行く、ティッシュ配りのティッシュの在庫がないときに限って、みなさんと一緒に朝礼に出る 売上高だとか、入店客数だとか、何らかの諸注意だかなんだかを店長が何か論うようにブツブツ言っている みんなは、下を向くか、休めの姿勢になってダランとしているか、ヘアスタイルを整えようと前髪に手を持っていくだとか、黙っていた 店内のイメージであった和装の曲がただ静かに流れていた なぜここでこーしているのだろうか・・・よく分からなくなるときがあったし、前に働いていた職場の誰々さんの顔が浮かんでもきた (なぜ、以前の派遣での単純労働工場であった職場は辞めたんだろうか)そーいったヤツを振り返ると、何だか常に理不尽さが、実ってやってくるといった調子だ 何がいったい理不尽極まりないような状況であったのか? 首切りとかではなかったというのは分かっている 自己都合退職というのをやっている 何か自分が気にいらないことが突出してくる=必然的に辞職といった感もあった 次なんか何も決めてないし、適当でさえあった 何もかも灰色に見えていたし、何処かに頼ることも何も考えもしなかった 就職のことや職業のことや、職安にさえ、そういった家庭との絡みでの相談やカウンセリングといったものは一切なかった ただ自己解決に任せるというモノであって、何か話をしたところで、こういった生活圏内の悩みともつかないようなモノは何もどうにもならないだろうと感じていた 今よりももっと、無法地帯だった携帯電話や電話の怪しげなサイトというものが 蔓延っていたし、もうあれらの世界というヤツは、女というのは、何か商材とした武器といった感覚すらあったと思われて久しい そういう武器を突きつけられて困っていたのは、いつの時代でも弱者であった 気軽に騙されてしまうし、騙されていても気がつかないといった状況ですらあったといえる さて、当時東京から店長が短期間飛ばされてきていたというのもあって、何だか都市銀行の口座でも作った方がいいのかなって、●u●iB/Kの口座を開設した その口座を店長に給与振込届けとして申請した 「給料、入ってるよね」 私より少し遅く入社したJ子くんに店長が聴いていたのを小耳に挟んだ 「はいっ、入ってました、店長」 そういっていたというか、そういう会話らしかった その後、店長が急に東京へ舞い戻るっていうんで、私は、「店長、口座をここ来る前に確認してきたんですが、ほらっ、あそこのATMですよ、まだ入金ないんです、ほらっ、残高100円のまま」 通帳を見せて店長の忙しくウロウロとする隙に話しかけてみた 店長:「あっ、ごめんっまた出張から帰ってきたら確認するね」 そのまま、特急に乗って行ってしまって、5日ぶりに店に顔を出した 相変わらず、毎日飽きもせず、あのATMに通っていた私は、残高が100円のままになっていることに俄かに苛立ちを隠せずにいた 既に以前居住していたところの家賃やガス、水道、光熱費、電話料金といったものは滞納がその前から続いていた それもそのはずだった その一ヶ月前の分から、ここでのバイト代で工面させようと思っていたからである まぁ、まだ一ヶ月遅れだし、といった軽い気持ちもなくもなかったけど、それでも、もうここでは、一ヶ月と二週間目じゃんか といったやりきれなさがあった それと、J子の通帳を見せてもらえるチャンスがあって、そこには、3◎万円というバイト代が入金されていた 私には、いったい何が起きているのか、全くのところわからなかった ただ未だに支払われていないのにもかかわらずに働き続けているといった状況だった そりゃ、J子にも愚痴ったし、何かの間違いだとしか思えなかった 店長なんかは、来てもすぐに店の売り上げ金だけを夜間金庫に即入れてから、消えてしまう 私は足がガタガタ震えてきていた ‘ダマサレテいるのかな’という怯えに似た感情と、自分に対する落ち度を振り返ってみたりしていた ただ私って、調理場に入り込んでるけど、J子はレジ打ったりして、働いてるっていう証明みたいのがあるのかなって、、、ただそれだけの違い、タイムカードの打刻は間違いなく打たれていたし、無断欠勤なし 何か悪いことをしたのだろうか? してないよなぁ、寧ろ、みんなとも仲良くやってると思うし、盛り付けがトロイっていうのでもない だんだんこの店に関しての‘不信’が募っていった そして、あの見掛け倒しの店長の素振りだとかにも、私はバイト二ヶ月目になったときには、自らバイバイした そしてもう二度とこの店に足を踏み入れなかった その後も残高が100円になったままの通帳を何年か保持していたが、管理料の方が高くつくのか、銀行からの連絡で、その口座を閉鎖するに至った それからだいぶ経過した或る日、Webで、賃金支払い請求だとか使用者責任を問われていたあの怪しげな組織が争われている裁判の記事を見つけた 私のような労働者で溢れかえっていた 驚愕した そして、これは私ではないのだとも思ってしまった こうまでしても、生き延びるのかといった残忍さが、私自身にさえも、自責の念を責め立てるようだった そんなのは世の中、ごまんとある みんなそれでも生き延びているし、それでもそういったごまかしの店はなくならない 地方にいる私のような人間は、恐らく未だに泣き寝入りだろうな 私が泣き寝入りしているくらいだから、だからって何をどうしたらいいのかさえもわからなくなったし、近場の弁護は何もない ただJ子は今でもあそこで働いているのかなって思うくらいで、もういないだろうなっていうのも感じている ただその後も、前の会社の手当てもなかったし、なんちゃらで、惨めな思いはしていた だからって、見合いをさせられて・・・そういうのが、ツライ上に更に追い討ちをかけられてしまっているといった心情だった本当に辛かったと感じる 年齢制限というのではなく就職もなかった、全くないといった調子だった 今と同じくらいなかったかもしれない、必然的に盛り場のような仕事でやっていくしかないといったのも仕方なかったのかもしれなかった ただこうして盛り場のバイトに不審感を募らせてしまったのでXXX そんなこんなであったが、そこは二十代後半の若さで乗り切れっていったとこだったのかもしれない 若さって凄いことだったって、何だか今更ながらに驚いてしまう もうどうやってきたかってのが、よくわかんなくなっていたのは確かだ そんな調子でありながらも、MLMの仕事だとか、御法活動だとか、落ち着きのない日々が単に続くといったことになっていた 子どもらはいったい何をしていたのか?上は養護学校の寄宿舎で、下は地元の小学校に通いだした 安定しているといえば安定していたのかもしれない 寄宿舎は月曜日の朝、時間までに送迎し、金曜日の夕方迎えに行くし、医療機関を受診の際は、それに合せることだけ、そんな風に遣り繰りしていたのかもしれない なぜ、今こんなことを思い出さなければならないんだかというのは、よくわかってないし、こんなのを公にしてもどうなるというモノでもないのかもしれないが、ただ生活リズムと云うか、乱れっぱなしで、養護の児のお薬づくりが大変だった 今みたいに分包を薬局がやってくれなかった時代だったんで、寄宿舎で飲む一週間分とかを藁半紙を細かくしてカッターでカットしつつ、ピット糊で貼りあわせ、4種類くらいの朝昼夕に分けたものを作っていたのだから、それは緻密な無償労働だった あのお薬の分包をもうやらなくて済むようになったときの何だか空しさと云うかなんというか、感極まるものがあったりなんかした もうあの作業はしなくてよくなったといった感慨深さと、あの作業はいったい何だったのかといった、講釈が頭の中に過った クスリの種類も然ることながら、学校に当時、看護士などの手が全く入らなかった 今はどうなってるんだろうと思いますが、未だにそんなに体勢が変化しているとは言い難いだろうけど、クスリを自分で飲むことが困難な場合は、医療行為ということになっているわけだから、それっていうのは、必然的に医療行為が出来る人がいくら強制収容所であったにしろ、手厚いナースのケアが入って当然だったとはいえないだろうか ちょっと長くなりすぎましたが、肝心要のところかもしれない 一番働けるといった時期には、大した仕事に就けなかったといった 結果とすればそうなってしまっていたのでもある
忍耐強く最後までお読みくださいまして、誠に有難うございました
 蓮華合掌  


Posted by このは なさくや at 08:27Comments(0)ヒューマンフォーミュラ

2009年07月20日

いのちだけは自分で

◎◎◎Tから、三ヶ月目に突入し、日も長くなってきたし氣も緩みがちだし、目的が何一つ見つからない 小さい小さい毎日の積み重ねでしかないし、目的は地域社会に出て個人的に個人が適応順応していく 服装の乱れ、靴のかかとを踏む、下着の柄がワザワザ見えるようにする、‘ドキッとしてしまう’ 忘れ物が多いし、チェックが甘くなってきているように思う 朝は午前8:10に読書が始まります この時間までに来られない、遅刻が大変目立ちます 遅刻どころか欠席が多い 提出物が出なくなってきた 集金を忘れずに持ってこない 虐めの一歩手前、●▼■が付き合ってるだののメモが、その辺に落っこちている 要は加害者も被害者もつくらない 他人の噂話があったら、、、もうこういう時点がサイン 中学生にはいまインターネットやらチャットやらプロフなど必要はないっ! 警察の方で7,000~8,000件/月もの問い合わせがある 身だしなみを気遣うようになったら危険信号! 身の回りのもの、モノが忽然となくなる、見つからない 悪気なく借りてしまう 勝手に借りてしまう 借りているvs.貰った 勉強の関連で悩んでいる 8月には職場体験があります 自分自身の長所がいえない児が目立つ いのちとは、、、 反射板がついている リュックなどで反射板が隠れてしまって用を成さない ‘いのちは自分でどーにかしてナントカ守ることっ!’この夏休み中がキーポイントになると思う 自分自身の実になるかなっていうこと 温かくなるような言葉がけを親御さんは胆に銘じてください 以上生活面について気になったことをセンセイから発表して戴きました 次に学習面について、○○○Tから、中間テストが済んで一喜一憂しているといった現在、残念ながら●▼■中学の生徒は学習が全く出来てないっ! 基礎的なことが全然出来てないっ! 文章を読み取る力は今ひとつ、中間テストの平均点でいうと、理科47.0点という始末 入試に出るかどうか各教科、総合的な問題となって難しくなってきている 文章を読み取る所が出来ていないのかなっというのが率直な感想 授業中の発言なんかも、グループ間の発言も、ともだち同志の関係で偏る 積極的に授業にかかわるという意欲を持ってもらいたい 3時間/一日はベンキョーしなさい!と、親御さん方から強く声がけをしてやってくださいっ サイテーラインですが、、、勉強しようねじゃ甘すぎる 家庭学習の3時間は厳守してください 期末テストのテスト範囲はもう既に出ていますので、その点は十分お家の方でも勉強をさせてください 以上、次に簡単ではございますが、○○自然の家へのキャンプについてを ▼■●Tから、7/19.20と予定されておりますが雨が降ってもやります 生徒たちにはビデオで説明を終え、バンガローに宿泊です 持込禁止のモノがあり、多少金銭負担をご家庭にお願いしてしまいます 事前の健康診断にはこちらの問診票を提出下さい 蚊に刺されるとヤバイことになりますので、虫よけスプレーなどを絶対持っていってください 当日行動する班も決まって係も決まりました 以上です その他、職場体験学習に関して、現在のところ30職場が挙がってきていますが、希望アンケートを提出して下さい 文化祭には、体験した内容を展示発表する予定です 職場の中で、◎◎美術館が一番遠くて、引率のセンセイにはご苦労をおかけします 最後に交通安全について、通学途中、自転車で赤信号で突っ切る、休みの日にヘルメットを被らない生徒が多数いて危ないなどの電話が学校にかかってきます 学校の方でもそういったムチャをする生徒に対しての指導強化をしているところではございますいが、何分ご家庭におきましても、危険ですので、注意をして下さいお願い致します 学級PTAで、先ほどの生活面での◎◎◎Tに質問ですが、男子生徒と女子生徒の間に溝のようなモノがあって、何か敷居が高くなっています 面識のない児とは一切話をしないという事が徹底されているように危機感がある 何かスムーズにいくようにしている 波風を立てずにコトを荒立てないように教育させられている ‘お腹が痛むとか、頭が痛む’社会体育の時間だけではなく、ゆっくりと身体を休ませる日などが地域によってはある その辺がうまくいってない 疲労骨折が多くなってきている 給食が足りていないんじゃないかな、残す量が多い 嫌いな普段食べないもの食べられない 普段から出来合いのおかずやコンビニ弁当おにぎり、ファーストフードでの味に慣れているので、給食が食べられない、まずいという テストの結果が出てもうすぐ配られます 兎に角授業を大切にして、休み時間も有効に使って勉強をやっちゃえればという気迫で、生徒たちもうんとがんばっています しかしそれらが返って疲れすぎてしまう結果とも感じられています 生徒本人がものすごく疲れている 月曜日の朝が辛くなっている 養護Tに訴える ‘あ"~腹痛ぇ’部活が疲れるという 夏場は特に疲れが絶好調に達するようだ
 ソートー前になりなすが、まぁ人が入れ替わったくらいで、全くのところ同じなのではないかという感じです こういったモノがビッシリと記録され続けてどーにもなりませんが、ただこれがこのままの状況下で動き続けていくのだけは、勘弁してもらいたい氣もします ゲンバではいったいどーいったコトが起きていて、うやむやと云う名の下において、カラスがギャーコラと鳴き喚くといった感じは否めません 何もいえなくて・・・夏のような事態にまた、身体的な恐ろしく腫れも伴った‘イタミ’に苛まれ続けるというよりも、続く 蓮華合掌  
タグ :中学校


Posted by このは なさくや at 10:34Comments(0)釣り

2009年07月19日

poorness_mind

経済的貧困という課題の解決は容易に成され、もう既にうん十年とも経過しはしたが、相も変わらずにそれらの課題を会議にかけている人々が夥しくも存在しているのが確認できてしまう 価値観というか尺度というか無我の境地というか、精神的貧困といった課題は永久的な課題とされてきたようだ しかしながら、精神的貧困といったもので溢れかえってしまっているのが現状であれば、それらはいったいどーいった深みなのだろうか、、、哲学者などがよくこーした課題は半永久的な難題とし、未来永劫にさえも解決は困難であるというのに達せられていたが、果たしてそーなのだろうか? 精神的貧困課題というものが存在する土壌、まさしくこれらの蔓延る敵の土壌や水分を調べなければならないのかもしれない そういった専門家集団は、これら社会的集団のお悩みに対応する技術レヴェルを保持しているが、あまりにプロフェッショナル過ぎて、地域社会に対しての還元方法が結びつくノウハウを頓挫させてしまっているだけなのではないか 数年前に非常に枝っぷりの極度に曲がったブナの苗木をワザワザ植樹した これは自分かなって感じて、植木屋に行って、即この苗木に決めたのである 強烈に捻れたその枝が、今は全くどこも捻れてないのである 植樹してから今日まで、特に手間隙をかけて大事に育てて手をかけていたということはないし、たまに話しかけていただけだ そーいえば、おととしくらいにこのブナの樹は、枯葉を落さずにいただとか、どーも頑なに落葉しないので不思議に思ってもいたことさえあった いつの間にか、何をどーしたわけでもなかったが、捻れた幹がまっすぐになった ただ何故、ブナをワザワザ植樹したのかっていえば、その樹木の特性をこの地域社会へ還元できるのかなっていうのを思った どんぐりなんかも植えた もう巨大な実を山奥から拾ってきてどんぐり林になってしまうのじゃないかなって思うくらいにどんぐりがわぁーっとなって、ニョキニョキと伸びて来たしまったりもした その際に地元の新聞にどんぐり苗を無料提供というのを載せさせて戴いた その際に対応した記者なんかは、ちょっと躊躇っていたが、私はそーいったモノには動じなかった その際にかなりの地元の人から連絡があって、その乳児のようなどんぐりの苗を軽トラだのに積んで行って戴いたのであった 今頃あの苗木らは、葉を繁らせているのだろうか 例年のようにそのどんぐりの葉は、こがねなどに多少やられながらも、光合成をする まだ実が出来たことはないが、いずれ実もつくのかもしれない そんなことを思いながら、翻って“万民徳用”の章で、「売買をせん人は、先ず“得利”の増すべき心づかひを修行すべし」とある これらの意味するのは、商人として生きる場合は、正直の徳を尊び、それを身につけるという行動である 根性の捻くれたような態度が自然がただ癒されたかの如く、そうした影響が拡大されていく 封建社会もここまで急成長してくれたお蔭様で、倹約を美徳とする健全な精神性が国民に宿ったようだ それをいかに移民へのかかわり方とするのかといったアウトカーストへの“知足安分”といった普遍的な徳であるという 現在のような消費経済における徳は倹約することであって、それら分配過程では“布施”のナニモノでもなさそうだ 前々から考えていたモノの一つには、やはり律儀な商人の育成であり、それはスポーツ、特にであるが、バスケットボールチームをつくってトレーニングをすることなのだろう なぜこんなことを考えていたのかといえば、マックスウェーバーを読みすぎていたのかもしれないし、仏教における財と労働の価値といったことに関して、四六時中なにやら、頭を悩ますことに苛まれてしまっていたりもしたのであった そこでまた精神的貧困というものだけど、マザーテレサも何か、孤独というものを恐ろしい深みとさせていたようであるけども、そういうのは経済的貧困に晒されている人々の下における孤独とした表現なのであって、精神的貧困が孤独とは限らないといえる 人間なんか、まぁ双子とか生まれてくる場合もあるんだけど、結局自分一人で生まれてきて、一人で死んでいくという感じで、なんだか昔の‘一殺多生’さながらに正当化された、ある特定の個人を犠牲にさせておいて全体を生かす行動さながらが続くだけだ これらはどーも、誰とは言わないまでも、どこぞのじいさまが仏教は、国家の公益に有用なるものであらねばならぬとし、そのスローガン下で、日清日露戦争その他に積極的に協力を惜しまなかったのでさえあり、全体的にはどにもこーにも、本来の仏教精神の実践を支えているはずの無我や慈悲の教えが、資本主義の精神とは結ぶに及ばなかった歴史が存在したのだともいえる しかしながら、青銅期とは言わずとも、カタイといったおかたいものはいらないので、“近未来銅時代”とすれば、そういった文明は超越するのだろうといえる 公益の名の下に自己犠牲を強いての‘偽りの菩薩精神’といったヤツは第二次世界大戦が終わった途端に もはや死滅したはずだったわけである ところが、何かまたそーいったナショナリズムの雰囲気を感じさせてしまうのも否めない だから、何もしないでいるわけにはいかないと感じてしまう スリランカから大量に来訪してくる難民には、生産力の未発達、生産手段の未熟さの課題が根底にあり、もっと言えば、“法施”の重視所謂、分配の宗教的な意義づけなのではないか あまりにも難しく考えすぎるのは頭によくないので、ここらへんを持ちまして、またなんちゃらかんちゃらへとお出かけしてゆくのであった 蓮華合掌  


Posted by このは なさくや at 11:25Comments(0)ヒューマンフォーミュラ

2009年07月18日

Capriccis+α

そー言えば、10年になりますかね、ファービーなんてのが当時爆発的に流行ってて、子供達が自分の手持ちのコマみたいなファービー同士を通信させあって会話なるコミュニケーションさせあっていた ファービーはよくお腹がすいたり、世の中が以上に暗闇に塗れていたせいか、「ヒカリ、もっとぉ」などと言ってあの目をパチクリとさせていました ファービーの入手方法がわかんなくって、トモダチに聴く所によると、「オマエが一番よくしってんじゃねーの」と交わされましたが、マジメな当方はわからないので、不法滞在をしている人にお聴きさせて戴きましたところ、大変親切にそのファービーなる物体を一機どころか、3機もパチンコ屋さんからとってきてくれました なんかよく、「この前、オマエ、あそこで打ってただロー」かなんかを言う他人がいて困ります 他人の空似もこーなると、人権侵害のナニモノでもなくなる ところで、そのファービーに癒され、あまりに深夜はうるさい寝言をゆーので、ファービーの電池を抜くといったことも繰り返していました あのファービー世代ももういい大人になる頃でしょーか・・・ 今そのファービーの同窓会なんかが出来ると嬉しいかなって、、ただファービーが行方不明になってまして、家中を捜索しましたが、どのダンボール箱の中に埋もれてしまってんだかなんだか、、、解っていません 哀しみの残酷物語みたいなものです ‘残酷’なコクで言えば、近日中に私立高校生への通学者奨学補助金を交付するなんていった大々的なマスメディアへの何かしら、良きイメージ戦略をしたつもりだったが、実際の所は、その広告宣伝料を差し引いたと思われても依存のない著しい減額をされた申請書がここに生徒を通じて届いた 教育委員会へ出向く際に真実を訊くのみではあるが、本来であるならば、JR東日本にこーいった電車賃などは、学生への免除を申し出たいところでさえあり、そもそもこーいった公共交通網が、学生からせびり取ろうといった事態が、‘線路は続くよどこまでも、、、’などといった悪しき‘続き’が因習化させられ、中央線の怨み節が鎮魂亡きがらを再生させるのではなかろうか 兎に角、財団法人鉄道弘済会はどーなっているのかだとか、考えさせられてもしまう JRは、相変わらず運賃が莫大に高額の上、更にダイビング率の異常な多さにも目を見張るものがある 電車の動きも川の流れと一緒で、何か電車に吸い込まれるようにダイビングさせられてしまうものなのだろうか、、、そーいったものはよく理解が不能ではあるにしろ、これはもう、有害金属の集合場所としかいいようもないし、脳事態と身体が害虫に変容させられてしまうのかもしれない そんなことも思わないではいられなくなってしまった 前述のファービーの流行とか、それこそこの目の前の現象だけを追いかけていたところで、実際の所の本質なんかは見えてこない いつも感じてしまうのは、何がいったい対等であるといえるのかというものである これは、常に何らかの場所に属してはいるのものの先ずは、“人間だ”ということがわからなくなっているように思われて仕方がない スーパーで買出しをαていても、レジに並ぶとその前のベビーカーに載せられた二歳児が、フクロ菓子に穴を自分で開けて食べてしまっている それを特に何とも思わない両親、寧ろそれは当然視している お菓子は床にポロッと落ちてそのままだとか、無表情に能面を付けられたようなママが足で踏んでいたりする 異常なほどに骨ばっかのように栄養失調をも思わせるような細さのママ その髪の毛は、金髪で毛先なんかは鳥の巣になっている おととしくらいに流行だった短か過ぎるTシャツは、後ろから下着が丸見えになってしまっていた だらしないというと、そーではないとは言えず、もっともないといえば誰も何もいえない ただこれは現実的であり、それらのママが実際的にはいるということである 少数かもしれない 弾かれたアウトカーストの姿といったものは、どこででも判断が可能である しかしながら、そーいったアウトカーストをただ無理解者が包囲しているだけの冷たく凍て付いた街である けど、みんながみんなそれをわかって欲しいとは思わないし、わかってくれたにしても、変な同情心が掛かってしまうのも嫌だと思う けれどもそーいう何か特異的な立場であっても、その前に“人間”として扱って欲しいのも事実である サポートが何もない それは一番不幸なことでも有る サポートというのは、手を出したり口を出したりといったことであるのかもしれないが、ただ現状では、もう無気力になってしまっている ほぼ死んでいるような電池を抜かれてしまっている時間も長くに及んでいるので、頭も回らない そんなような状況でさえある 気力があったときは、色々と探し果てて、聴きまわってといった行動も出来たが、もう今となっては、疲れ果ててしまっただけである 何かを起こそうという気力がなくなってしまってきた だんだんそーなってきてしまった どこへ行っても何をしても、無理解者との遭遇であったし、頭ごなしにすぐに説教が始まったりだけ・・・ なぜ、移民の国へとさすらおうとするのかだとか、そういった行動をしないではいられない 反抗するバカな体力があるくらいなら、全く違うことへ精神を傾けないではいられなくなってしまった ただそーいう風な雰囲気になってきた 流れモノの性質のような感じにも似た落ち着きのなさ・・・なのかもしれない まぁどこへ行こうが落ち着きのなさではピカイチかもしれない しかしながら、様々な人々との交流だとが、今の市民とはまるで違うのではないかっていうことだけはいえるのかな そんなこんなではありつつも、孤児の回想録に関する詳細は、残酷ならぬ‘残国’物語だといよう、何しろ夫婦のけんかなんてゆーのは、夫である継父なんかは午後10時を過ぎなければ帰宅はしないので、そんなに幼子の孤児はそれらDVの目撃は寧ろ、それほどでもなかったのであった がしかし、当時はその長兄の小姑が二人も同居していた その小姑は、継母の階段を上り下りする足音がうるさいだとか、すぐに赤子を泣かせてうるさいだとか、これまた継母に対する虐待さながらに突くのであった これらが経過を追うごとに激しくなり、今では「継母さんの子育てが間違っていたから、あの孤児ちゃんは、あんな風な境遇になった」といった事をそこら辺に吹聴させているといった始末であさえあった しかも継母本人の前で堂々と、それらの数多を述べてくれるのであった この無理解を思うと居た堪れなくなってしまう そして、幼児用強制収容所の方なんかでは、不気味な厚化粧とそれらの濃厚な硫黄のようなキツイ臭いをさせた保母こと、政府軍の養成させた幼児監視員は、孤児の方へばかり寄っていくまともな幼児に対する孤児への嫉妬心を募らせてもいた そんな中、孤児はその化粧臭をプンプンとさせた監視の目の尋問に遭う このような僅か4歳に達したばかりの子どもを監視員室に監禁させ、尚且つ「オマエが盗ったんだね、オマエしかヤルやつはいないんだよ」と、その孤児に対し、足首を掴み上げ、逆さまにさせ往復ビンタの嵐だ その化粧臭さを撒き散らすばばあが、その幼い孤児を放り投げたのだ その後、いのちが存在しているのかいないかの確認は急ぐではないに等しかったが、とりあえず画を描いて欲しいといった幼児には、もう、近寄らないでというより術はなかった そして、数日後化粧臭いゲリラばばぁ監視員は、その部下に「さがしてたモノが隣の引き出しで見つかった」といった事をほざかれてしまった 孤児の眼下は益々にして、緑内障の雰囲気に曇りつつあった あの逆さハリツケの計はいったい何だったのか・・・? 呪いの戦慄が過るのみでさえあった 震撼を通り越した経過報告の一端かのようでもあった 蓮華合掌  


Posted by このは なさくや at 18:09Comments(0)ヒューマンフォーミュラ

2009年07月17日

Capriccis

近頃では、カブリオレなんていう自動車の名は聞かなくなった それにしてもそーとーな気まぐれの気質を備えていなければならなくなった まさにヤギのようなものである どーにも喉の奥に何かが蹴躓いてしまっている すぐに鉄を銅をなでたりしてるだけではあるが、まともなモノは何もないのかっ・・・?なんていうのを考えてみたりもします 昨晩の豪雨は激しかったし、その雨が叩きのめすタキロンの音に反応して、何かが念力を携帯の呼び出し音の閃光にも似た点いたり消えたりをさせている “ここに届いてます、ありがとう”、ダイジョーブというのをきちんとこういった暗号のようなので伝えます 本当に凄まじい雨だった ゲリラ豪雨は急にやってきた そして、其処ここに何らかの魂を宿らせていく カラスといった霊長類は敏感である 何者かの生まれ変わりでもあるからだ それに比して、また●▼■課のXXX課長と話をしなければならなかったが、XXX課長の半径1mに近づいただけで、サッシの戸から漏れてくる濃硫酸みたいなドブでミミズを採っていた頃に戻らされるので、こちら側としては、ひとたまりもあったものではなかった 課長も誰か家族と同居されているらしいが、その胃が酷く悪いような口内を決して開かないよう、文面での会話を要求したいほどであった あからさまにも、その課題点を指摘するこども面が出てしまったら最後、もう二度とはこの課そのものへ、足を運ばずに済むモノを・・・またトホホ感に苛まれてもいた、ですので、行を変えてみます
そもそも"バイオテクノロジー"と云うやつは、環境浄化目的の主語だったのではないのか、、、そこで、この主語を持ったというか、青銅器時代にでも移行すべく定められた我ラボでは、いかにして、間一髪的重篤な状況に瀕した人類へも平等に快適なそのひとらしい、らしさの保てる場が必要であると考えるのである それは、ありもしないおとぎの国をないから創ろうって言っているのではないにしても、ジェノサイドのような状況が歴史的にも再現させられてしまうのを何とかしてどーにか食い止めたい所の人情でもある 故開高さんのパニックではないけど、その120年ごとにきっちりとやってくるねずみ集団の集団自決みたいなものかもしれないし、それら石器時代の終末にも似た石全滅時代への警鐘はいくらでも鳴らされているのであって、且つその警鐘を個人的にも、そして、国際的にもどういった手立てを駆使していけるか、、、本来の個人的な漠然とされた事象さながら、孤児の出生秘話に遡るのでもあった 今は亡き祖母に聴いた過去によれば、その孤児は、あの木の橋の袂にコタツの下掛けのようなパッチワークさながらの古ボロ布にくるまれて落っこちていたのだそーだ なぜっ?それに祖母は氣がついたのか…と云えば、当時流木を風呂の焚付けに使用するため、橋の近辺をうろつき回り、流木をかき集める日課なのであって、特にそのに湯気のたった赤ん坊がただそこに置いて在ったとしただけのことだった 祖母はまだ子のない、がしかしながら、仏教信仰には篤い長兄の子孫繁栄のためにも、その赤子を拾ってきしまうに至ったのである その日は、奇しくも反戦記念日の翌日でもあり、そんな世界反戦デーであったなんて言うことについては、母子家庭の祖母にとっては、特に世界反戦デーも何もあったものではなかったのかもしれない ただその哀れ過ぎた赤子を人道というナニモノでもなく拾い上げてきただけであった 一度は、生活苦を案じ、見過ごそうとしたとも云う その後、、、この孤児が二歳を過ぎたころだろうか、、、いつも、大抵その孤児は暗闇にいた、というよりも真っ暗闇のただ中に蓋をされ埋もれていた 継母の背におんぶさせられ、怪しげな月はコッチを観ているといった感覚であったし、凍て付いたその頬や、足の感覚やらで、脳性麻痺さながらが起こってもいたのであった 宗教精神、特に仏教観念に忠実なこの見合いをさせられた夫婦の男と女の間とは、常にけんかが絶え間なく遭った それら、二人の間の個人的に起因する激しく醜く他を犠牲にさせた‘けんか’に相応する分類なのであったのかもしれない しかし、子ども、いや赤ん坊に与えられた衝撃というやつは、図りしれないダメージ、しかも取り返しがつかないといったおまけまでがついてしまった 所謂戦争状態だった 引き取られた間際から、夫婦間の戦争に何か加担させられてしまっていたのでもあった その赤子は、何らかの洗礼を受けたのでもないので、祖母や継父母の支持した仏教を祖とした宗教に収まるしか、目下のところ、成す術はなかったし、選択肢はないし、‘三代目さん’などと言ったどこぞの襲名を匂わせるような呼ばわれかたをされもした 仏教精神がその終日を覆う一家の日常がそこには、ただあった 継母は、朝夕のご供養といったものは決して欠かさない 勿論、祖母も右へ倣えであった 調子っぱずれのお経の唱がただ常に聴こえてくる環境なのである 必然的に何かに執り付かれてでもされてしまったかのように それらのお経は暗礁されもした こーした善き習慣化というものが、どんな影響力を持つか、この孤児が立証させてしまう 若夫婦は、相変わらずモノの投げあいや、言い争いを続けても居た 幼い孤児にとっては、戦時中のナニモノでもなかった たとえそれが、国家体制の犯した罪ではないにしても、、、危険地帯を逃れるには、いつも主を早く亡くした祖母と一緒のことがその時間の多くを占めていた 継父母と過ごした時間といったものは、ほぼない 何も思いも出せない ただ継父は、その女の子が庭で掃除をする風な写真を撮っていた 何かそーいった女の子らしさを意識させるような写真を残そうとさせた そこへ、第一子の妊娠がわかった そーいった途端に夫婦の蜜月が続くのでもあった 迷信に絆された女の子は、いらない存在であって、早くこの世から消えてくれた方がいいといった調子が見え隠れするのでもあった 待ちに待った長男誕生に沸くこの夫婦意は、長男の出生直後の写真のあまたが、物語る、、、この国家の長男に対する、異常なまでの絶対君主のような軍隊をにおわせるサガでもあった その犠牲に差し向けられた長女を推しつけられ宛がわれたそのドブさらいの孤児は、悲劇的な一つ一つを明かすそれらの証し、、、そんな中、保育制度が始まる 孤児家族の暮らす強制収容所からは、自転車でも30~40分もかかるような場所で保育生活ならぬ幼児用強制収容所生活が始まる 常に継母はリウマチスの激痛を抱え込みながらの自転車での、、、継母は何かに鞭打たれるような送迎さながらで、さらにこの孤児はその自転車の固い金属性の椅子にデコボコを繰り返され、その強制収容所に到着するまでには、尻が鞭打たれたようだった このリウマチス羅患者への周囲の対応は、薬物や断食といった通説に基づかれてもいた そのただ、日中を過ごすのみの場を与えられたのだ 孤児はそこで、当時絶大に支持されてもいた“アタックNo.1”のあゆはら こずえのイラストやその他のイラストを描いていた 描いていたなんていうよりかも、みんなから頼まれて描いていたにすぎない 兎に角、みんなしてみんなが、ただ縁ってきたのであった 不可思議だったが、事実は小説より奇なりという具合に、、、だった 驚いたただ孤児は驚きを隠せずにいたが、ただそのイラストをみんなの要望に応えようとしていたに過ぎないのでもあった 行く手には全滅といった未来だけが現れているのだというのに ただそーいったものも、民法上は誰だって、どーすることもできない全体主義の下に一方通行のようなものだからでもある この先には何が待っているのかというものは、真実は簸た隠しにされるのみなのだ  


Posted by このは なさくや at 13:57Comments(0)釣り

2009年07月16日

キャミソール

こー暑いと、どーしたって薄着になっています 薄着というよりも、ハダカに近しいような格好になります それにしたって皮や皮膚を脱がすわけにもいかないので、暑いというのは本当に堪えます 涼しい川風が偶に入ってくると、頭もシャキッとなるにはなりますけども、こんなハダカ族様でいると、忌まわしい出来事が、震撼として脳裏に戦慄が走ります この前の点滴のドス黒さの残った皮膚は先日までには、薄皮が剥げてうっすらとなっていくように感じられてはいるものの、どーしたって色がついているとは云わないまでも、酷く汚らしいのである これは、他人が観るのと自分が毎日確認してるのとは違うと思われる点もあるが・・・度重なる陵辱の果てに様々な機関との連絡を絶ち、道端に敷いた茣蓙の上にとぼしい残飯同様に扱われるモノなんかを並べてるんだけどビニールカバーが被ったまんまの書籍やら、貰った袋詰めになった味噌パンやら、UFOキャッチャーで辛うじてクスネタような思いっきりでかいぬいぐるみとやらなんかを一個ずつ売りさばくといったことをフリマでもなんでもないのに 観光地目的にどっかからやってきた通りかかった知らない人たちにウルという売りかたを楽しむ 炎天下はどこもかしこもアチーので、たまには、二歳三ヶ月くらいに成長した樹木の木陰で涼んでみたりもする お昼時になると、観光客の足もぱったりと途絶えてしまうので、その一時間二十分くらいは、打っているといった調子であった 人がアウトドアを楽しんでいるというのに 顔や身体への照り返しや紫外線は強く、サンシェイドをぬり直しては、肩から染み出るような細かい塩をタオルで拭いたり、その塩を集めて何かに使おうかとか考えていた それにしてもこの塩は価値がありそーだ とニヤけてくることもある たった1mgでどれほどの値打ちがあるか・・・?考えただけでも恐ろしくなって、またニヤニヤしてきてしまうのである そんなもん誰もかわねーよって思ったけど、まぁモノ好きみたいなヤツが観光で来たら、こじゃれたビンに入れて、ピンクのビロードのリボンでもかけておこう
 客:それはなんですか?
 me:塩です
 客:かなりサラサラだね
 me:えぇ、製造元は血統証がついてます
 客:ふぅむ、おいくら
 me:この製品も今日しか売らないつもりですので、お安くしときます
 客:ほぉ、で、お値段の方は、、、
 me:現金は要りません 客ギョッとする 
客:じゃ、VISAかMASTERかで、お願いできるの?
 me:いいえ、ここにお客様と一緒のガゾーになって下されば、それで決済はおしまいですよ 簡単ですよね 客再びギョッとして 客:どれどれ、どれ、、、おぉ・・・、これは、凄い!キミぃ、ここをプッシュしてこの画面とキミと一緒にガゾーにすればいいんだね、これでいいね 有難う 嬉しいよ 何度か聞き返して、相槌を求められた
 me:いえいえ、私の方が嬉しいです、お客様 ほんとうに有難うございます こちらこそ、感謝致します  客:じゃぁ、この小さなビンを戴いていくとするか、それにしてもサラサラで美しい、、、どうもありがとう 
といった具合に一個ずつ売りは相変わらず続いたが、現金には相変わらず結びつかなかった 笑い話のようなものかもしれない 年中行事のような教育金助成陳情へと、大きな市長、教育長、議長なるモノと会合を持ったが、またそこで、やらかしてしまった こんなんでは硫酸を顔にぶっ掛けられても腹の虫は収まらんと言ったセンセーが、私に噛み付いてくるだろう さっさと逃亡してきたが、今度は公証役場だ ここでは、支払いが滞っている相手を連れ立って来いとかいうじいさんが待ち構えていたのみであった やりきれなさとそんなバカな場所へワザワザ行ってしまったという自責の念を堪えつつ、大型スーパーへ買い出しに ほんとうにめまぐるしくて、グルグル回っているような状況である 足の踏み場もなく、またどこかのなんちゃらかんちゃらへと、出かけないといけない それらの書類は見当たらない そして、お決まりの如く、「その書類ってワードかなんかで出来ないんですか?」と、また何十年も前から言っているが、一向に変化の兆しは見当たらないで、またこの書類に手書きをしている 引っ張り出してきた前年度の書類とはいったいどこがどー違ったかというよりも、年々にして書類が増えているのが実態でさえあったのである また書類書きおばちゃんに徹するのみである こんな風で、何もまた手にはつかないまま、終日は経過するというものであった 私には宿題が他人の何倍もいや、何千倍も日々、出題され続けている感じに思えてくる それで、いつも会議にこないだとか、時簡に遅れてきやがってとか、挙句の果ては、何もやらねーくせに生意気な口を利きやがるなといった調子で対応されるのが、常だった 在り難かった もうここへ来るという理由に終止符を打ってくれたからだった もう嬉し涙でいっぱいだった 何度も何度も感謝して、オサラバした とてつもない憂鬱という黄昏が重くのしかかっていた またもや酸素不足状態に陥りそうだった  


Posted by このは なさくや at 13:27Comments(0)釣り

2009年07月14日

今、末法に値ひ、


かの道元らや、久しく各々が記す所によれば、文体は異なりつつも、変わらない本質的な‘終末’を予言するような記録が実にこの世を憂いでいるように感ずるところでもある先の今、末法に値ひ、にて始まる道元の記述によれば、全くの所何ら狂いもなく同じというものでもあった というよりも、合ってしまうのでもある 最低階級の奴隷にさえ入ることが許可されないアウトカーストといった身分の烙印を押された人々が、そのアウトサイダーに触れてしまったら、二進も三進もいかないとんでもない被害である穢れた存在の末を覚悟しなければならなかった それというのが、やはりこのわれわれ、ヒューマンフォーミュラが、本来志したシステムでもある まぁ実に時代は経過するだけだったが、編集のやりように縁る所の意義解釈は、ここまで進化してしまった 何がいったい、他の俗悪な人間が触れたからといって、そっち側が汚れるのだろーか・・・?これこそ、意味不明のナニモノでもない まさに民族・階級を超越した平等な人間性に立脚するのみ仏教哲学的な窮みさながらである 昨日なんかは、非常に疲れた 徹底して運転の舵をとったので、しかも7時間もぶっ通しで運転し続けてしまった 身体は小刻みに震えだしていて、またもやシの予感が過ぎったが、笹団子を食べたら正気になった こーした自己解決力というか、誰かに何かを負ぶさろうということは考えないという生き方に徹するものなのかもしれない 即ち“拒絶、しかも盲目的な拒否や偏見を超えた強烈なる拒絶”である 悩みの類でもあるのであろうが、蟻が天から降ってきた蟻は、考え込んだようにその小さな身体の節々を自身の四肢で触れている 植物同士なんかも接触するように狭い単位に植えられていたりなんかすると、必然的に相互の何処かしらの部位が激しく損傷してしまっているのでもある だから、、、有る程度の適度な間隔という“間”があってこそ、本来の姿でもあるし、行く行くは実に誰とも接触なんかはしなくても構わないのではないのかなってことも感じられてしまう となると、不都合なレイバーに携わっている人は、何かに身の振り方を考えなきゃなんないし、転職を繰り返すことにもなってしまうよね、きっと・・・大体がそんな浪費関連で何かを為そうというのは、霊と肉の争いを招いてしまっているのだともいえないだろうか ともすれば、以前からも考えていたのが、‘人間免許制度導入’なんかをやる子孫が出てくるのではないのかなっていう感じ 冗談じゃないかも、、、寧ろそーいったことでプレミアをつけてじゃないと、これからの世代が何か生き残っていかれなくなってしまう 幼いころから培われるべく精神性というものはいったい何なのであろうか? よくよくそーいった事物を考えさせられてもいた こども心がなくなる瞬間とはいったいどのあたりなのかって、、、そして、それらはどーいった観点で製造されるのだろう・・・? 生き残りを賭けた何か獲物を追い回すといった事象さながらでもある 結局は、免状だとかなんだとかかんだとかっていう物質的な制度とか、許可させるだとかいうのは、崩壊していってしまうのみなのだろうとしか、考えられないし、普遍的な人間性に対する開眼でしかない 何でも筒抜けのような具合に解ってしまう場合がテレパシーなのである テレパシーでの会話を楽しんでいると、それでもう十分に充足し、精神的な安定を約束させられてもしまう それほどにテレパシーの絶大なる抱擁性のような受け入れられている感覚でさえある よく恥の文化圏日本を知らし召させるご意見番は誠にして多なり、、、でもある おとといまでの何日間かは、食の試験的な人体実験をした所謂、コンビニやジャンクと呼ばれる食を通して、我が身はどーいったことになるのだろう・・・というものであった 昨日までの>文献を見ればそーいったものは一目瞭然とさえいえるのである いかに食が大事であり、いかにして食を粗末にさせることが恥か その点、他宗教特に カトリックやプロテスタント等では、ひとに知られなくても、犯した罪を僧或いは、神の御前において懺悔し祈りを捧げるのは、当然とする 反して日本人といわれているひとの多くには、誰にもしられていないのにわざわざその罪を告白するバカはいないという、悪い行動と云うものは、誰も観ていない所では、躊躇なく思い煩うことすらないという 義理とか人情とか、どーあっても、引き継がれてしまったとしかいいようもありません 先のアウトカーストへの待遇は、排他的のナニモノでもなく、それはごくごく近親者のみだけに親切心をといった号令がかけられているだけなのであり、その他カンケイナイと思われる人々に対しては、憎しみしかないのでさえある  ここでわが国日本における自殺問題の特徴は、その当事者個人の大半が個人的な課題によるものとして扱われているように思われる これらの問題は、訴訟となり、当時の市当局並びに政府行政等の責任追求にまで発展し、恰も魔女狩り的様相を帯びてきたが、問題解決の本質を見失ってはならない これら難題解決の本質とは、この自殺発生の事実関係を 感情論や組織論に捕われずに明らかにさせることであって、何もスケープゴートを差し出すことではない 生存していると云うよりは、特に死にたくはないが殺されるのではないかといった生死への脅威の可能性があれば、それら被害者の迅速な救済、真相究明委員会の設置、政策決定プロセスのあり方、医事行政及びそれら組織のあり方、地域社会体制等について等の提起である とりわけ、情報の公開、政策決定のプロセスの改革及び第三者等の調査検討委員会による自殺問題の真相究明についての要望を傾聴することは重要である ただ単に嗤ってごまかす、今までのそれを何らかの酒の肴的に扱ってきたメディアは大いに反省すべき時期がやってきたともいえよう 蓮華合掌  


Posted by このは なさくや at 05:50Comments(0)ヒューマンフォーミュラ

2009年07月13日

溢れる自然

もとはと言えば、誰のナニモノでも借りものでもなかった‘私有財産的な価値観’に広く覆われてきた事に起因する重大な違法行為が罷り通ってきてしまった ただやってる本人さまにもまったくもって、それが善であるのか、はたまた悪なのかという判断すら説明がつかなくなってしまっているし、それって何が誰に対しての‘良きこと’なのであるのかだとか、寧ろそれが、果てしなく‘良きこと’に傾いて区分されてきたのだから、呆れるのを通り越さなければならなくなってしまっただけだ 通常に生活していて、こーいった‘決してあってはならないとんでもない’疚しい事態で覆い尽くされた日本の感じでさえある 夥しい恰も丸で何ら知らなかった処刑場に ただ連れられて来られた人々に対する屈辱と処刑は実行されてしまってまで…まだ、その実体なる観えている部位を‘従属させよう’っていう魂胆が見え隠れしてもいる 先進国に暮らしていながらにして貪りの局地の人間のような仮面を被った殺人鬼らは、なぜそーいった処刑を日常的に何らの考えも、意味すらも何もなく侵し、尚一層喜んでいられるというのだろうか…? 理解の出来ない烏合の衆らが、問い糺す「ムネ、掴まれたぐらいでジタバタするなっ!キスぐらいヤラサロよ、減るもんじゃねぇだろーっ!」中年以降の御婦人に最も支持されている左記のような態度、人格とか人権とか、人である前に良妻賢母である的な意見でさえある ただ単に支持だけであるなら、まだしもそれらを忠実に子孫が継承している 所謂‘魚のめ’ 通常、こーした目を表現すると、例えるなら死んだ人の目みたいなもう生きてないみたいな時に使用したりしまう この魚の目をした乳幼児の多さに度肝を抜かれたりします この先進国における魚様のとろりんとした目、目がうつろであったり、何を毎日、見せられたらこーした目付になれるのだろうかとさえ感じさせてしまう ただ似ている瞳を観た それはやはり、途上国だろうと発展途上国であろうと、‘世界中にある争い’のその間にあった ただ在ったという感じだ 魚の目が大勢がまさしく、極端で冷酷なる自己主張、自分側だけからの他人の感じ方を無視した殺人鬼の考え方でさえある こーいった御婦人やおじいさんら殺人鬼様に家畜化傾向をただ闇雲に行進するのみは誠にしかも確実に多くを占拠してしまってもいる もはや私の独自の市場暗渠調査包囲網では、ほとんどがそーだと言ったとしても過言ではないほどでさえある 即ち進行形、、それら殺人鬼認定の烙印を押すとか押さないといっただけならまだしも、その価値観で、人間を判断しているだけ、つまりこーだ、‘今、損か得かのどっちか’だけの感覚そのもの ただでさえ、暮らしには経済的や精神的や肉体的ゆとりは皆無だし、そもそも学ぶということが大のニガテ分野でもさえある ただただラクをして面白おかしくケタタマしくにこにこで暮らしたいだけ、「いいですね、軽くって」」と、、思います どこが溢れる自然なのかっていえば、全滅も自然だったというだけなのかもしれない そんなことばかり氣になりだしたら、とまらなくなってしまい…ヤダナ、、、蓮華合掌     


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2009年07月11日

普遍的な水

専門の医療機関から見放され、難民化してしまった人々、精神障害者といった“心の病”に関しての加療では、表面的な表情だとか、いつもニコニコしているだとか、恃み易いだとかいう様に事例がありますが、今まで精神科外来の治療を受けていた人だとか、現に外来受診している人、そして、今病院に入院している人、時々は病院から抜け出して行動が出来る人、殆どそーいった人々が吸い寄せられてしまったかのように集まってきたしまったというのも否めません これは自身にとっても大変な問題でした というのは、様々な医療機関或いは専門を標榜する相談に対する不信感が積もり、更には最も頼りにしていた医師からも見放されたのですから、、、(ほんとうに自分はビョー氣なんだろうか・・・?もし、ビョー氣とすれば、抗うつ薬を大量に飲んでいるだけでいいものだろうか・・・?或いは、カウンセリングに通っていて、『あぁそーですか、そーですか』とただただ聴いて貰っているんだけれども、それだけで果たしていいものなのだろうか・・・?)と、、、心理分析を詳細にテストさせられて、『貴女はこれこれこーだ』と分析されて、それで非常にキズついてしまった 新聞などの記事でも、書いてあることに惑わされたり、多くの人々が支持しているといった内容に対する不信感を持ってしまった それと同時に全体主義が齎す専門性が出した結果への大きな不安感もぬぐえなくなってしまった 勿論、全部が全部そーいった意地悪な対応というものではありませんが、中には知能的な段階には何らの教養はない人々の中では、蹲ってはいられるだとか、単に知らないといった人々の中ではどーにかやっていかれるのではないだろうかとか、その場凌ぎの出逢いで取り繕っていたり、恰も‘サンドウィッチマン’にでもならされたようにその板ばさみに喘いで、バランスをとることに始終追われてしまう 詰まるころ、専門の有能と云われている医師の元での治療を受けていて、それが逆に状況を悪化させてしまっているというか不信感を持ってしまって、もう医師の処へも行かない、他の人の話も聞かないといったカタチでのひきこもりとなってしまって、一歩も外に出られなくなりそーです 今引きこもって、ずっとインターネットをやったりして、なんとなく過ごして、人生の大半がもう経過だけしていってしまう、、、そんな魂を煩った人が、ごまんといるような中で、自分の考えを聴いてほしい、親にもわかってもらえない、勿論精神科の先生にもわかってもらえないし、友達にはいい様に何か利用されてしまうのではないかとかいった、解ってもらうどころの騒ぎではないということで、自分の気持ちを聴いて貰えるところをさがしてさがしてさがして、、、探し回って、ようやくブログでこーして書けるようになってきた よーやくたどり着いたという感じ ただこれが、誰が観たかとか観なかったかとは別としても、、、こういう所謂、身体は大人かもしれないけれど、中身は子どものまま成長が止まってしまっているといっても疑いの余地はない、こーして色々と、つまらないことかもしれないけれども、こーして綴っていて、綴れていて、、、これがどーして、精神病なのかなって・・・?自分でもいったい、自分はどこが精神を病んでいるのかなって・・・?どこが、うつ病なのかっていう風に自分自身では、どこも悪いという風には思えない ただ果たされてない出来事がネックになってしまって、それが滞留の主な原因となっているというのは、もう正当性のある理由だと感じます 小学校のときの登校拒否であるとか、拒食症だとか、げーげー吐くとか、不眠症とか、極端な冷え性だとか、腰痛、腹痛、、、様々なカタチで表現が主立ってきてしまう しかしながら、ワタシがいま、急にこれを読んでいてくださっておられるような方々と、例えばお会いしたとしても、どーってことなく表面上は、なんということもなく、そこらへんにどこにでもいる人に見えて、どこか氣が滅入っているだとかは感じられないし、寧ろゲラゲラ笑ったりなんかして、氣が狂ってるという風には思われないと、、、じゃあ、何が一体おかしいのかといえば、やはりこれは、こういう私自身の主体性であったり、大事に思っている気持ちをまったく理解できない‘地域社会やおとなの社会’というか、地域社会やおとなの決まりきった考え方、こーしたことが、寧ろ子供達自身を究極的な孤独に追いやっているということをただ知らないし、おとな側は学ばないということだけを痛切に考えさせられて悩んでしまっている ‘吃音’といったことに関しても、‘吃音’が出るときは、大概は、聴いてくれるおとなが誰も存在しないし、ただそーですかそーですかって、聴いてだけいて、釈迦に説法的なものだというのとは違う ‘吃音’の根っこというのは深いです ‘吃音’とかになるなって思うのに話をしろっていうのは、屈辱のナニモノでもないし、‘吃音’でも喋り通して、相手の態度がそのうち、ニヤニヤしてくると、やっぱりなという風に察知してしまう 細かい取り越し苦労のただその中で、繊細なところをどーにかしてうまく乗り切ろうとしてしまう 危険な人々が近寄ってきて、でも周りは、もっと危険な人々しかいない、そんな冷たい地域で、どーしたら生命力を取り戻せられるのか・・・? 全くの所、わかりません そーいった世代に埋もれながらやっていくという意味です ただ誰にも理解も支援も何のツテさえも微塵も与えられもせず、ただ与えるのみです いくら説明に回ったところで、何も通じません 通訳どころではありませんでした その人がいったいどーいった教育を受け、どーいった人と接してきたのか、、、ただそれだけでした 狭い地域内で、かたつむりのような行動をしているだけのおばあさん達に その行動様式をやめなさいと云っていてもムダだというものでしかない もしかしたら、ちょっとは違うことを考えるかもしれません ですが、昔教員だったとか、昔は●▼■だったといった方々だとか言う身分的補償がある方と云うのは、まったくのところ、頭っから押さえつけようとするキョウイクを相変わらずやろうとしている 虫けらのように他人を従わせていた過去の勲章が存在しているので、シぬ間際まで、そーいった虫けら同然にワタシのような存在をコキ使い、特に何らの意味も感じないし、感じていないし、私が今どーいった状態なのかの詳細を云うと、お気の毒にといった調子で、自分らの達成させたい意見を更に追加までさせるのである 意味不明である 法治国家と云う言葉が、放置国家さながらに思えてきたりもする 何しろロクな●▼■士が近くでは探せない そーいったことを云うと危険かもしれないが、敢ていえば、法▼ラ▼なんかは、何度も相談に出かけていったが、あるセンセイは、『人格なんか弁護に関係ない』とか云っていた あるセンセイは、『リコンの問題かかえてる他の女いたら、紹介しろよ』だとか、、、馬鹿にしるのもいい加減にしろっていう感じだった だから、、、いつまでたってもどーにもならないのかなって、センセイが算術ばかりを主張できる地域、これが言いたくはないが、現実でもある センセイのご自宅を拝見させてもらうテレビでもやれば、よくわかる どこかのコーチョーだったとか、キョートーだとかっていう方々のお住まい=ゴーテーに ワタシは幾度お邪魔をし、そのたびに身に余るような接待をその子女や奥方方にお受けしたが、一向に何らの悩みの解決に繋がらなかった 繋がらなかったし、こんなセンセー方の暮らしをトモダチのホームレスや難民が観たら、いったいどーなるんだろ?とか、果てしなく田舎の高い山々へ逃れるのが正解なのだろうか、その快適なクラシを維持させる今だけのためには・・・そんな氣もしないではない 何か専門性というものが、地域とは掛け離れてしまって、隣とは掛け離れてしまって、周りがどーなっているのかも、まったく氣がつかなくなってしまっているのではないのだろうか?そんな氣さえしてきてしまう 今何をしなければならないのかだとか、やはりもう、自分だけのいまの守りにハイってしまうのみなのかもしれなかった 未だに何の不都合も何も解消もされない現実を観ると、尚一層、それどころではなく、悩みが降り積もるというよりも、川下の方で、流れが拡大されてしまうように 人々の不都合さが、怒り心頭となって表面化してくるだけとなってしまった 蓮華合掌  


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2009年07月09日

((w(´▽`)w))

人と人との間がどーだとかあーだとかっていう事について言えば、ただ自己都合に特化した不満ばかりが噴出してくるのでさえあって、それらがどーにも越えられない溝でもあるかのようだ どーしてこーやって描いているのだろうかっていうのも、今がどーにもやりきれないから描いているんじゃないのかなってことだけしかない ただそれがどーにもなるものでもなさそーだし、今すぐにチェンジ出来るかどーかっていうのだって怪しいし、それに始終し続けてたら、寿命がきそーだったりもする 虫というのはビョーキにかかるのだろうか?、、、とか 虫自身が重大なごビョーキで動けずになっているだとか、虫が奇形化されたやつなんかは、とんと観たことがない 節足動物のようなものだとか、今だったらショーリョーバッタだとかイナゴだとか、カマキリだとか、、、相変わらず‘あのカタチ’で変形したような形の昆虫などは観ることはないというよりも、きっと昆虫らは、もう奇形だとかいった障害を背負わされたその時点で、オダブツの何物でもないのである ムシが生きられる時間的な短さを知れば、それもその通りでもあるし、そもそも誰がいったい、こんな気の遠くなるような時間を決めたんだろう…? 時間という概念が分からなくなってくる 日時の概念もわからなくなる ‘嫌なことだとか、自分の身には永久的になかったこと’という粗悪なエピソードは、延々と先延ばしになっていってしまう呪いに鍵までもかけられているかのようでもある だから、嫌なことほど忘れやすいのかもしれない‘かも’ではなく、忘却した方が唯一のところ、身の安全を確保できるのかもしれない ただ不意に意表を突かれたようにその場面が鮮明に急に何の前触れもなく、こんな時にまで…上映させられてしまう クヌギの樹の葉っぱが、そのほぼ全部を‘こがね虫’に食潰されていた ‘こがね虫’は葉っぱを全滅にさせた挙句にその枝にそれぞれ番いになって乗っかりあっていた 凄まじい生き地獄を観させられた その脇を若いカップルが通り過ぎていった その集団化とした‘こがねの番いら’が自然に忍び寄る行動がただソラ恐ろしく感じられるのであって、それらの‘こがね’が群をなしていたのを観せられたためにその異変のようなものが感じられただけでもあり… 先ほどの時間というあってないようなもので、呪われているように思い、、、何をし、何をしないかだとか、何を選択し、何を行動するのか…?これまでのところ、意欲的にならなくなってしまった 意欲と言うものはどーやったら湧いてくるのかというのを考えてみた 安心した場が確保されてないだけの問題でもなさそーだけど、それって安心できる場なんていうのは、初めから存在なんかしてない だけど、それを掻い潜ってあまりにも、無視して生きていればいいのかもしれない 私のように深刻に考えてしまうのは、大体ヨロシクないということなのであり、、、でもだからといって、軽いノリで、これまで通りといった暮らしというものは、実のところ、何も変えられないだけでもある 変革っていうのは、凄まじいエネルギーが必要なのかもしれない ただそのエネルギーは、存在感がしないエネルギーによってかよらぬか それだけなのかもしれない 酸素不足を喘いでいたら、Feを酵素と一緒に そして、食物での栄養がうまくできない場合には、やはりFe入浴剤の登場を待ち望むところなのかも…ネ~~┗━━┛ヽ(゚Д゚ヽ) 秘湯温泉なんかにゃ、旅費交通費がバカにならないし、そー滅多に行けないもんねぇオッケー☆⌒c(*゚ー゚*) 自宅でFeとCuを含めた“微量ミネラル入浴剤”なんかを研究開発出来れば、きっとみんな欲しいと思いますが…┏| ̄^ ̄* |┛ 蓮華合掌  


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2009年07月08日

feud

2,000年以上にも及ぶ、現行の文明に関して云えば、ウィスキーを飲んでんだか、アルコールを飲んでるんだか、口内は、炎が立ち昇りそーでもある 炎を噴く芸でもできそーだ 2,000年が長いか長くないかは別としても、ただこーいった最中に縁を頂くといった今なのであって、これっていうのを変革しようとかどーとかこーとかっていうのは、かなりムリが祟ってしまいそーですね 実際のところは、気付こうが気付きなんかなかろうが、時間は進んでいくだけであって、どーすることも出来ません かといって、何もしないでいるというわけにもいかない 始めたからには、考えられるだけの多くの不都合とか怒りだとかいった憾み節にピリオドを討たせる 犯罪の根っこは、その犯罪を犯す本人が、どーいった人と人との間を通過してきたかどーかに縁るようにも思えるし、未だに受益者負担といった障がい者等の窓口現金負担という、現ナマ思考のナニモノでもなさそーである こんなにも、キャッシュレス思想が定着してきたにもかかわらずに この医療界隈における現ナマ上位の異端視は、遍くそれらをデータベースに組み込まないといった怠慢すら感じられてしまうに至るのでも有る しかしながら、患者本位のQOLに徹し研究熱心な窓口では、いかに患者さんには、現ナマその他諸々の悪魔的な加重債務を背負わせずに済ませるのかといったサーヴィス中心主義であって、寧ろ労働者側の原則優位に動く現行の医療界の‘医は算術’とされた呪縛を逃れ、信頼の宝庫へと人と人との間を結ぶのではなかろうか・・・ 2,000年問題は、Y2Kとした難題とされ、マスメディア等でも騒がれたものの特にどーという事態にもならずに経過していっただけではあった しかしながら、こーした課題のウラに秘められた過密な個人的な・・・とおぼしき、開高さん風に言えば、“オーパ’のような暴君の死なのではなかろーか そして、どれを優先させるかどーかで、血眼になって悩み抜いてから、決定打にはならないにしても、この国に籍を有してしまっている以上、使えない資本をどーしたら使える資源的なリソースに変えるかといったものでしか、封建的なものの観えかたのチェンジにはならないだろう 前方を眺めると、アルミ缶だとかペットボトルだととか、発泡ースチロール、サランラップ様のビニール袋やなんかが引っかかって滞留しっぱなしでもある 一部では流れてはいるものの留まる残留ブツもままならない ここで、“山オトコには惚れるな” といった唄がある これっていうのは、オトコならぬ、女にもあてはまりそーである 険しすぎるのかもしれないし、“孤独”というものを生涯に渉って求める質である場合には、本来は群れるのがスキかもしれないが、実の所は、悲愴感あふるる“孤独”を求めて止まないからでもある 兎に角、シツコク付き纏われることが多かったために一人の時間が全く持てなかったといった本末転倒といった事態がやってきていた この部分は、憶測があるのかもしれないが、自分的には、なぜ“孤独”になれないのか?といった難点が遇った ただ“孤独”を求めて数千里を歩いた後にその“孤独”は、実は悪魔の調べなのではなかろーかといった疑念すら涌いて来るのでもある 強制収容所から抜け出し、つかの間の“孤独”を味わうのも乙なものかもしれない “孤独”を好むただワタシなのである ただ単なる“孤独”とかいったカッコつけたものでもなく、異端視をさせないさせない繋がる“孤独”といってもいい そんな何か人らしさが問われてもいるのではないだろうか 西暦2,000年にして蘇ってしまった人と人の間をどーしていけばいいのか・・・?この確実なる問いを求め続けて“ヒューマンフォーミュラ”は、日々のゆっくりしたペースを楽しみにしてもいるのである たかが2,000年、されど2,000年かっ\(^o^)/といった調子なのかもしれません 偶数の区切りに対する和のなのかもしれないし、異端といった不平等な開眼からは、もうこれまでにして、終止符にするのでもある そして、今在り得るシステムの検証と、動いてない役立たずのシステムに研究開発の叡智を注ぎたいものでもある それがいかにして、行動しないのか、はたまた感情ならぬ勘定さえ存在しえなかったのか、、、 疑問は果てしなく続くであろうとも、真実に躊躇いなく振替伝票に記すのでもある そんな今さながらでもある なるべくにして、持ち物を少なくしたいといった概念が動き出している ‘持ち物’というのは、自己所有に起因されたモノではあるが、出来る限り“シェア”の精神に徹するのであるのかもしれない ただあまりにも極端すぎて、誰にも理解不能たらしめても困りモノでさえある 先の“山オトコには惚れるな”ではないにしても、気象が変化しやすく、どっち付かずになりやすいのかもしれない ただ個人的には、一途な肉体といった性魏感は存在し、ただ誰のモノともつかない肉体もあるのかもしれない そんな一部とされた観える部位を奪い合っててもどーしよーもない ここでこーしているだけなら、、、何一つ達成しないし、達成なんかそんな言葉自体が存在していなかったことになりうる マジメという呪いが占拠するこの場所に いつしか慣れてしまった飼い犬のサガでもある しかも忠実にといった‘ふろく’までもがただで付いてくるのでもあった 通常‘ふろく’でもおまけでも、特に決まりきった原理はないにしろ、出来る限り“シェア”の精神に徹する事ほど有益なことは見当たらない 個人的なある一部での‘政’といったまつりごとでは、稀少な選択肢のみでは全くの所、用を成さないという本質がわかったというよりも、解っていたのである ただ単に誰もが、“聖域”の名の下に嫁しづくしかないのも現状である 蓮華合掌  


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2009年07月03日

で、誰もいない平日に…

そーいった調子でですね、、、感じさせて頂くと、これはもうとてもではないけれども、ここではないどこかへの課題が鮮明になってきているのでもあり、兎に角逃げ出す勇気を持たなければならないのと、“発つ鳥跡を濁さず”でやってきたつもりではあります これで十分でしょ…と思いながらも、不十分だとは感じてますが、私に背負わせないでくれるかなって思います はっきりいって、重くて仕方ないです 家康の言葉が、しみじみと伝わってきますね こうなってきますと、、、不十分なところは、何とかして、ここにずっと在住し続けたいひとが人との間でどーにかこーにかして逝ってもらいたい所でもあります\(^o^)/ ヒントは色々と用意できるかもしれないけど…いかにして、全くのところ、何の用意も知識も金も土地も何もない人と人とが、その間をつなぐためには、どーすればいいのだろうかというものでしかないし、それが、原始的だろうが、未開種族だろうが、結局は先進国とかなんとかって、そんなこと言っていたって、ただ貪ってる修飾がごまんと何だとかかんだとかで蔓延ってるだけなのかもしれない またそんなことを口走ってたりすることで、あまりぼったくって気がつかないでいる人々には、それこそ好ましく思わない人だらけに塗れてる ただこれって、思わない人間はそれに手を染めなきゃいいわけだし、なんか勘付いた人間なら、一抜けたっで、早々にそんな場所から足を洗えば済むことだって感じです\(^o^)/ 叫んでるわけじゃないけど…、ヒマつぶしって言われても困るし、そーこうしてるだけで、ただあまりにも、忙しさのただその中に放り込まれてる人は、なんだか、同じ年齢にも関わらず老けこんでる印象が否めない 奪い合いって、こんなちっぽけな土地をどーこーとして奪い合ってたって、どーしよーもないと感じています それが、なぜかセンソーの原因になる 国捕り合戦とかいったものを永遠と、なんか血眼になってやっちゃってる 必要な範囲っていったいどーなってるのかな…?身分不相応なマネをしてるだけのようにも思えて仕方ない どこまで行っても果てしなく貪り続けていって、身の破滅を招いていないか…?ただこれって、自分に対して問いかけているだけであって、別に強要を迫るものでもない どこのどいつだかわかんないようなやつらに轢逃げされるっていうのが、どんな痛みになるかだとか、そいつらが、ただそこらへんにうようよとね、それこそ害虫駆除されてないんだ ただそれだけ\(^o^)/ あってはならないようなことが起きてしまっている みんなが知らないとこで毎日起きているセンソーみたいに ただそれを特に感じないで済ませるという大量サイボーグをこの世に大量生産させてしまった 少なくとも、ここから湧き水は絶え、井戸は汚染され、干上がっている 湿地がどーのこーのと叫んではみたが、あんな用もないようなとこのことなんかは考えなくていいとさえ、大人には言われたままだった 生涯こどもの私にとっては、ほんとうに身を劈かれるような出来事だった そして、いつも、、、  


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2009年07月01日

査某嫺

なってこった!これじゃ、シンクロみたいじゃん じゃなくって、シンクロだったとしか考えらんない ついにやっちまった 昨日のいつだったか覚えてないけど、劇物毒物に塗れた安い御買い得な商品を殺人鬼の目の前で、投げつけてやったんだ 殺人鬼は、ご多分に洩れずといった調子で、あたいに動きの鈍くなった左手を肩から使い、必死になって殴ってきた しかも、孫の観ている前での無抵抗者への惨撃、殴られ打たれを繰り返され、樹木のように立ち尽くす人間に向かい続け、罵声とともにあのドクドクしい商品を大事そうに拾い上げ、『私が使うで私が買ってきたっていうのに…こんなことして』思わず、その毒々しいハミガキ粉に頬づりしている老婆の殺人鬼 凄まじい光景 そこへ、老人殺人鬼が来て、『風呂に入れるのも、どっかへやりやがって』と言って、勢い余って、その処刑場に飛び込んできた 「そこのゴミ箱に入れた」と、あたいが言うと、ゾンビの顔つきをした殺人鬼が、ごみ箱からその大容量のシロモノを これまた大事そうに拾い上げた 拾い上げるもんが違うんじゃねぇのかなって思ってても、ムダなテイコーに処されるだけである そして、観えない風が吹き続ける そのたびに撓る動きがとれない樹木の堪え性のような砦に佇まされている やっちまった、そーいうつもりはなかったにしても、まだ一歳児だろーが、、、どー考えたって‘ギャクタイ’のナニモノでもないじゃん!私は、その良心に従って、若いギャルママ風の女に向かって行った 赤んぼーは懇親の力を漲らせてなき続けていた にも拘らず、ギョーセーの職員らや、居合わせたママ友なんかは、誰一人として、この新米ママに何を言うでもなく、何をするでもなく、一体どーいうことなんだって! もう怒りのナニモノでもなくなっていた私は、その場から、立体駐車場へと出て行ったお母ちゃんの後を尾行した 立体駐車場の渡り廊下の所で、しばらく、「なんで、お前は噛み付くんだっ!」と怒鳴り、クラシ上げて、駐車場の方につかつかと歩いていってしまった 私はその姿が見えなくなってしまったので、更に足を速めた 虚ろな目つきのその男の赤ちゃんは、ママに抱っこされていた 私は、怒鳴りたかったが、冷静沈着に対応せざるを得なかった 「あなたね、これって立派な‘乳児ギャクタイ’でしょっ」 ママ:「あたしのこどもなんだから、カンケイナイし、別に迷惑かけてませんし、あっ、さっきまでずっと泣いててうるさかったのは、すいません、誤ります」 「なんなの?その態度はっ!」 ママ:「そりゃ、泣きっ放しにしてて、そーいうのは・・・」 「あなたが、いっぱいいっぱいなんでしょ・・・?」 ママ:「もう、こんなとこで缶詰にさせられて、、、でも来週から、実家帰れることになったから、ごめんねぇ、かわいいかわいいしたり、怒ったりの繰り返しで、だけど精一杯やってるんですよ!誰にも迷惑かけないよーにって、それで、こーゆーとこ連れて来てんじゃないですかっ 一人で育ててるじゃないですか、あんたこそ、子ども生んだことあんですか?ないでしょ、ただうるさかったからって、こんなとこまで来て、赤の他人の私に注意なんかして、、、」 「なんなの?そのふてぶてしい態度はっ!」もうぶち切れそーだった たまらない怒りでわき腹から激痛が走っていた 疝痛だった ママ「こんな田舎で、注意とかしてないで、もっと都会とか行ってそーいうことすればいいじゃないですかっ、わたしなんかのことは、ほっといてくんないかなっ」 乳児に語りかけるようにして、背中をトントンさせながら、「ごめんね、恐怖だよね」なんて、私の方に目を向けさせる 乳児は、抱っこされてはいるものの泣き止んではいるものの震撼とした瞳は、灰色の戦時中そのものだ そして、こうも続く、「あぁ、私がみんな悪いんですよねぇ、この児だってすぐに叱り飛ばしちゃう 」 「赤ちゃんて、親なんか選んで、あなたのお腹の中にいたわけじゃないよね、、、あなた、男になんか痛い事されたんじゃないの?」 ママ:「はっ?男?男に困ったことないし、困ったことなんかされたこともないし、男に怨みなんかなんもないっすよ」 じゃ、どーしてそんなに自分の所有物みたいにワンワン泣き喚く乳児を抱っこするでもなく」、扇子で上から扇いでるわけ? イジョーでしょ!? 意味わかんない ママ:「私のことばっか、訴えるとか、Youtubeで世間に訴えるとかって云っちゃって、、、やればいいじゃないっすか?やっていいですよ、ほーらほーら・・・」赤ちゃんをだしにして、こちらへ赤ちゃんを差し向ける 「あなたみたいな母親がごまんといるから、大量無差別殺人鬼が育つんでしょ、わからないの?」 ママは腕にはブレスレットと高級時計をし、黒は長くストレートのお嬢様風のどこにでもいるような極々、幸せそーなママという雰囲気、しかも、着衣などからしても裕福そうなというおまけがついていた ママ:「さっきっから、私のことばっか根掘り葉掘り訊いてきて、あなたはいったいナニモノなんですか?ここの出身なんですか?そーゆーのが趣味なんですか?こーゆーことしてたら、警察に言うとかっていうのをしてるんですか?」 最後の一撃だと思って、「私は、風邪で熱が出たら張っ倒されて、背中なんか観てごらんっ、キズだらけで、こーゆー風にね、あなたの今抱っこされてる男の子みたいに泣かされ放しで、継母に殺意しか抱いてないだけ!ただそれだけ!」 クルッと振り返り、もう何も云わずに小走りで走って、その場から立ち去った その際にママは、「えぇ、怖い思いさせちゃって、ゴメンねゴメンね、ゆるしてゆるしてゆるして、、、ママのボクちゃん・・・」なんて云ってか云わずか、、、両親が揃っていることの悲劇と、、、この半年間もの長きに渡って、母は母の役割を忠実にさせられる 一瞬の猶予もなくさせられている 黙っているだけ、黙らされているだけ、、、発言権を行使させる場は何もない 存在すら認められもしない こんなんじゃ、大量破壊殺人鬼が生育する土壌を生み出してしまっているだけだ! 現実的に少子化というものは、国家がどーこー言う問題ではなく、もはや個人レベルで取り組みほど、猶予などない 然もすれば、根絶やしを推奨している本邦でさえある そして、今日も何の役にも立てずに殺人者と純真無垢な乳児を見放してしまったといった自責の念に襲撃させられた 全部、私の責任なのだと、、、そーいった呪縛に晒され続け、乳児の所有物化は促進させられていくのみである 気がつけば、本邦と呼べる人間は誰一人いなかったということになるのは、もう数年すればやってきてしまうにすぎない 早かれ遅かれ、そーいった国家になるべくしてなった そういった全体主義での全滅を意図的にさせてしまった この怨念の根は非常に深く全くのところ、たやすくそのキズは癒せはしないだろう ただ単に放置させていたのみならず、人為的な大量破壊殺人鬼をこうも大量生産させ、大量浪費させているだけであり、あとは何一つないのである 蓮華合掌  


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