2009年08月22日
マイルストーン
都市生活ぐらい、不便なものなんかはないに等しい にも係わらず、そこに住まうことでの自立ならぬ独立を強いられてきたのも否めない 危惧しているという事のおびただしい中の一つとすれば、今後の大量孤独死というものだろう 誰からもまともに向き合うこともされずに亡くなって逝くという孤独 それこそが、マザーの残した“いのちのことば”通りである 都市生活の方がそれらは顕著であるといっても過言ではない しかしながら、それがあるというので、安否確認をボランティアだけで支えるというのでは立ち行かなくなってきてしまう そこで誰とでもうまくやっていく発想とすれば、毎日誰かどうかが、日替わりで訪問したりできる何らかの手段が必要とされるのでもある ただ心を頑なに閉ざされてしまっているとはいえ、こうした精神的貧困のアドボカシーとすれば、これらも単なる多面的なものの一つではあるが、ほぼシンデイルといった状況であるから、ある程度は永く生き延びられている というのも事実だ ほんの僅かな食料と水と空気に満たされていて、あとは何らの欲得もなく、髪も伸ばしほうけだったり、だらしなく時もまた経過する しかしながら、場の安心が戻ったというきっかけを提供することで、一斉に封を斬った如くにかっ飛び出していくのも人間なのではないかなとも感じているところです 中間山村地における定住願望を実現させるためには、医療の問題並びに安く手に入れられる土地家屋の問題、収入の問題といったことを考えれば、理に適ったことをやっているのであって、ここに共鳴できないというのは、こちらサイドというよりも、都市生活者自身が、精神的貧困の呪いから、自分の夢を現実的に描けないのと同じなのではないのだろうか・・・ そんな気もしなくもなく、昨日はなんと理事会に参加から始まりのPTAのお母ちゃんたちがおりましたので、ひとつ叫んでみたのは、二学期も始まりまして、通学路の区内にあるコンビニにおけるトイレを借りる場合に遭遇する‘いかがわしい雑誌’が並んでいる所をすり抜けなければならなく、非常に不安を抱えている児童がいるということ そして、これらの‘いかがわしい雑誌’に掲載されているのが、どう見ても未成年のような子どもが出ていたりするのを立ち読みしている男性が立っている後ろを恐怖に戦きながら通り抜けるということが繰り返されてしまっている せめて、通学路内にあるコンビニ連盟は、ゲリラ的な営業手法を改め、そういった雑誌類は、トイレ近辺から遠ざけてもらいたく切に願ってもいる また未成年が激写されているような制服姿で引き付けようとするのも、学齢期の子どもを養育する親にとっては、勿論一般的にもではあるが、立派な性犯罪であり、こういったモノが堂々と処罰も成されずに売られている地域社会の倦みを今後とも鑑みていきたいといった意見も出された 数年前ではあるが、こうした問題は、問題にもならずに、しかもお笑いの対象と看做されてもきた そして、その当時、●▼■中学校の数学の教師Hが、著名な○○駅付近で、女子高校生を車で待ち伏せし、車内に連れ込んで、性的暴行があったという この教師Hに至っては、‘いけません’という意味がわからない先生であって、同一人物によるこれらの行動によって、複数の女生徒がその欲望の餌食となっている このように単に‘いけません’といって、しかられてきても、その‘いけません’という事実は、何がどう‘いけません’なのかを知らない 学習障害者に見られる、宗教的な観点からすれば、法施を学んでいないし、他人の痛みを自分の傷みとして学んでいない人間が、教育者として教壇に上がってしまっているといった恐怖にも似た戦慄である 教員は人格者ではなくても務まるというのであれば、ただメカニズムを組ませるだけのアンドロイド化された家畜のように飼育されている頭脳の持ち主だけが、教鞭を執っていただけなのだろうか 哀れで居た堪れない被害者の多くは、泣き寝入りを強いられ、自責の念と、嘘つき呼ばわりされる拷問に苦悶しながら、今をどこでどうなさっておられるのかと思うにつけ、あれらの脅威を何のケアもされず、ただそーですかそーですかそーですかと、スクールカウンセリングの人に聴いてもらっているだけで、振替伝票も何も起こせないでいるのだ こういったことがまかり間違って、押し通されてしまうこのチホーといったところに 誰が定住を望めるのだろうか その事件によって奪われた尊厳だとか品位だとかを悉く掻き毟られ、毛の一本も残ってないというのを誰も観ないのである こういった現実がやってくるなんてことは、悪魔が来たりてフエをふいていたのかもしれない 社会の制度が窮屈になればなるほどに子ども達の不安は増大していくばかりです 子ども達の不安は、覚せい剤の乱獲に現れているような昨今となり、経済の流れに従えば、そういった覚せい剤がPL法の何かをも潜り抜けて、不法に金銭価値との交換がなされしまう これらはゲリラ軍隊に加担する人を人でによって誘き寄せているようなもの 列記とした犯罪にも係わらずに犯罪被害者ではないという結果を下されてしまって、そのショック&トラウマが頭痛・腹痛・腰痛のタネになってしまってもいたりする しかも、それらを煽動しているトップが一番に学んでもいないし、誰もブタレテはいない 「忙しい忙しい忙しい」の暮らしの中で、「こどもにご飯もつくってあげられなくて、この会議に参加させられている」というのや、「金曜日の真昼間の会議に仕事を休んでわざわざ出席して、この会議のコンセプトは何なのですか」「都会からいらした方々に“安曇野”ってどこですか?」などと聞かれてしまうなどと云った事が茶飯事になりました そんなこんななのではあるけれども、社会的地位というものがチラついている陰でのくさばのかげ状態ですらある あまりにも、その価値判断に関するピンからキリまでの部位が、統一化とさせられ続けている 人間は自然の一部であるわけなのに 自然の前に社会の一部、社会の一員などと言ってしまっている こうした発言にしても、一切皆苦となってしまってきた 特にまだ何も染まっていない子どもたちの純真さを歪めているだけの教育者が、ただの一人でもいるのなら、それらはあってもなくても、最初っからどうだってよかったのである 単なる時間の暇つぶしだったのだ 河原に水浴びに行くと、川の中の石がツルツルっと滑って危ない 藻が付着していて、これらは‘ミズワタ’などと呼ばれている水生のカビの一種である このような‘ミズワタ’はビッシリと石を取り囲い、ドブさらいのBrで、鼻を憑くようでもある これらの生活者らは、菌類やバクテリアの増加にも繋がっているが、アオコもその近辺のため池風な箇所にもあった アオコが発生した池の水を飲んだ家畜が行き絶え絶えに死んだとするアメリカで起こった事件は、水道水の処理過程で、発ガン性物質までをも発生させてしまうということであった というよりも、こうした何かが混じってしまった水は、薄めていくしかないわけであって、どんな毒性も劇症なのも、忠誠を誓って製造したはいいが、それを取り除くことは極めて困難であり、それらを何とかしようとするには、水を大量に消費しなければならなくなったのだ そして、限られた資源のことを考えれば、水が干上がるというリスクが話題にならない方がどうかしているのでさえある そして、またこうした水問題を考慮してみての我々が、どういった行動様式を選択したらいいのか、脳死ではない人類ならば、それらの判断は極めてラクに成されるだろう 蓮華合掌
Posted by このは なさくや at 11:31│Comments(0)
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