2009年07月30日

故松原 泰道僧侶を悼む

直接はお会いさせて頂いたというのはございませんでしたが、生前の宗教者の情報網では御馴染の常に真贋とした“慈悲の精神”ということを骨身に与えておられた方というのを感じさせて頂きます 世相がひっくり返ってしまっていく中で、それに物怖じせずに仏教精神である みんなと仲良くやっていくということ 何かこういうことが一番に問われている しかしながら、殺人鬼は激増していくばかりだったし、これら殺人鬼がその正体を現すのは、第三者がまったく観ていないような隙でさえあるので、そういった立証が困難にさせてしまうのである 人の営みという生活圏内に支障が出始めたのはいつのことからだったのか、そういった人々がそこここに必ず存在していたわけで、何も今世紀始まって以来に出現したとかいうものでもあるまいに、、、などとも思わずにはいられない こうして、あの“南無の会”といった響きからのやさしい雰囲気の灯がとぼるというモノに感慨深いものがある そして、これらを引き継ぐようにその霊媒体が、何らかの肉体即ち、目で確認できるような所に宿るのだろうか 私たちは何も何らかの生まれ変わりを繰り返しているといって、人間だけに生まれ変わったわけではなく改めてそういった事象が不思議な感じに思われる 昨日なんかも汗がひどかったし、何度も飲み過ぎで気分がムカムカとしていて、寝てもいられにような状況で、何か今朝などは目が腫れぼったくなっていて、その瞼は熱をも発しているような身体的な苦痛うを強いられてもいた あれはサッシが開いていて、高速道路のざーぁっという音声に耳が汚染させられていたに他ならない あの高速道路の走行音という公害は、夜中は特に酷さを増すのである それぞれが寝静まっているというのも手伝っているというのもあるが、このような田舎の一部でのあの聴こえ過ぎる耳への公害汚染が、不眠を強いられ続ける サブプライムローンで建てた我が家では、こうした公害は、難聴を思い起こさせるように‘何もそんな音、聴こえない’というので、そういった方々には、大変苦痛にとられてしまう 反響してくる雑音がほぼ24時間365日、休みなく絶え間なく続く 高速道路が閉鎖になるような大雪に見舞われれば別としても、未だそういったシビアコンディションはほんの数回しかないように感じられてもいる 今は悪夢を観させられているように思う ‘聴こえない、聴こえない’の大合唱は物語る 自分たちさえよければいい 常にそういう調子で地域社会が構築されてきた 特に何も問題のない人と人だけが会議で、問題は何かを話し合っているようなヒマつぶしに 単に時間を割き、それらの堆積した会議資料のみが、最重要書類とされて、保存されてさえいた 何も問題なく、問題は問題外とされるといった または、‘何か問題を見つけましょう’などということになってしまってさえいる 問題が何もない夥しい人々の生き延びる行動様式を観ているという、傍観者は、それらの観客のまばらな演劇ならぬギカイを観させられ、挙句の果てには、観ていたんだから、その感想をどうぞということにまでなってしまっている そうこうしているうちに観客がほとんど姿さえ見せなくなったりした 関心もなくなった そんな人ばかりだった そういう人が包囲しているという地域社会にあって、どううまくやっていくかが、その行事といったものや、権力で押さえつけられているような人と人の間に外科手術を施すようなモノかもしれない そして、そういったことは時間もかかるのかもしれなかった ただ私には、何か別の手法がある 人間が化学反応をしているという限り、必然的なともいえる手法でもある みんながなぜ、ある部位が脳死状態になっていったかとか、それらはもう歴然とした事実だったからだ 誰にでも出来なければならないし、誰がやっても同じような効果がなければならないのだというモノでもある 蓮華合掌


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Posted by このは なさくや at 10:14│Comments(0)法施
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