2009年08月17日

戸別訪問

去年は、灼熱地獄のただそのさなかを自転車乗りならびに徒歩及び早足によって懸命な面会を続けていた 午前中から始まったこれらの訪問は、ちっともそれらローン天国化した家には人っ子一人いなかったといった展開で、ピンポーンを押しつつ、硬く閉められた開き戸の引っかかりに重力をかけてもいた 毎度ながら、この板についてしまった行動様式は、次々に戸を開けていくという中では、時に戸が、意表をついて、開いてしまう場面もあって、そんな時には、驚いてその家の玄関にツンのめるように滑ってしまう 家人の対応は、こちらのスマイルに由らざるモノでもなく、汗ばんで髪の毛が顔にへばりついたようなこちらの顔面と遭遇した顧客は、冷たい麦茶を氷入りで差し出してくれもした もう尋常ではなく暑いし、暑さに任せて汗がすごいことになっていたので、移動の際に手鏡で確認すると、描いた眉毛が“麻呂”になってしまっていて、自分でもその鏡の中の“麻呂”に驚きを隠せないでいた 太陽があまりにも真上にまで昇らぬうちに草むしりをするといった野良仕事の知恵は、今ではほとんどの人に知れ渡ってもいるところでもある また、眉の終わっている線画の続きを誰かの家の生垣の柵にでも身を潜めつつも描いているといった調子で、その場を凌ぎ、またある時は、リップ塗りに転じ、顔面から流れ落ちたミネラルの一部の土砂災害に対し、崩落現場のテカテカした輝きを一瞬にして蘇生させもした 今どきは、玄関がどこなのか、、、果たして、このお家は玄関いや、門というか、どこから入ったらよいのか?全くの所、理解に苦しむ佇まいも多く、漆黒の武家屋敷造りなどでは、玄関がカラクリのような小細工がなされていたりして、こんな御屋敷に住んでいたら、忘れ物でもして、また家の中に入ろうとするには、このカラクリを解き操りながら入らなければならないんで、非常に面倒チックなのである 股上の短そうな敵に対する仕掛けとでもいえそうなヤケに高い敷居だとかが、潜るたびに躓きそうで危ないことにもなっている その生垣を乗り越えてみたら、ブルドックと見間違えそうなお母さんが、ひょっこりと、シミーズ姿で露出してきた まぁ女同士、仲良く行こうやと云ったところだろうか 噴き出す汗が打ち水の様にポタポタしてもいた こうして、歩いて歩いて歩き、常態を前進させながら進んで行くと、家の中にひきこもり歴が、地層化された方々もおられる しかしながら、ひきこもりっきりだということや、あまりにも普段からのお付き合いで、同類の方々だけだとしか話し合ったことも何もないというと、それらには、心を閉ざされた歴史があまりにも長きに及んでいたので、その延長では、突如として現れた宇宙人では、コミュニケーションなどは、以ての外であって、すべてに於いてを閉ざされてしまっている どんな些細な事柄がきっかけだったにせよ、もう閉ざし続けるという頑な反比例が後押しをしているようにも思えた これらが、“アマテラス化”というものでもある 結局、ひきこもりきりの人がお住まいの地域っていうのは、必ず何らかの尊厳だとか品位だとかいったその人間らしさが、どこかで打ち消され続けてきたといった過去からのメッセージが観えてくるのでさえある 事態が急変することは決して容易にはいかないとすら映る しかしながら、特別視をするというのもどうだろうかと感じてもしまう こうした行動の選択をさせてしまったのは、あくまでも、今このような行動に陥ってしまっている人間サイドの一方的や、一時的な感情ではなさそうである アドボカシーとすればこうだというんであって、本心とやらは、どうにも掴めそうもない こうして何だか、過去をやり直す訳にはいかないのだけれども、それでも何か、悪事を働くのも人間なら、善いことをするのも人間であって、どうしてもこういう面においては、善いことをする人間が少数派に廻ってしまってはいる昨今でもあり、然もすればそういったモノでも、育てるといったトレーニングに関しては、このラボ:ヒューマンフォーミュラで云うならば、褒美の与え方なのかなとも、思われます とは言うものの金、銀、銅や宝石、骨董品等は勿論、大事な宝であって、こうした価値での評価はなされているのではありますけれども、こうした価値観というモノは、あくまでも多面的なモノのうちの評価の一つである筈なわけです そうして、いつものように結果というものを究めてはいるのですが、直ぐに結果的な判断を出さないのではあるのですが、何かにつけて、人が人の間で何かを成そうというのには、今与えられている場、時間、経済的な意味だとかから始めてみるというのが、慈悲心をもって独立起業するには、もってこいの状況であるともいえます 個人的な立場で云えば、もう4歳前頃からテレビアニメの動画を画いてみたり、美容師のおばさんの行動を忠実に見て、お昼には身体の弱った幼児に粉薬を飲ませるなどと云った行動をしてきてしまった訳ではありましたが、そんな中から何かしらの“天職”じみたモノが生まれてくるというのであって、そういった働きを続けつつも、様々な分野に精通していく その場に合った職を“天職”とさせるのであって、所変われば、また違った職にも触れ合うだとか、多面的な観方とすれば、こうした考え方も採用か不採用であって、場が変わっても一様に同じ動きが出来るというモノを目指すのも、このラボの考え方の一つでもあるのです つまるところ、人と人とが暮らすその間に役立つメカニックだとか、習慣化する過程での育成トレーニングが、こちらのラボでの存在感なのでもあるのです “ふるさと”なんていう童謡の歌詞が何だか変わってしまって、ウサギなんかは追いかけなくなってしまったし、鹿が増えてしまって狩人が足りないし、こう暑さ残暑が厳しいと、必然的に大型ショッピングモールで、ブラインドショッピングに明け暮れてる方が涼しさの確保のための叡智かもしれなくもない きっと、ビーチサンダルで川の流れを体感したことがないというのは、さびしいし、子どもも大人もですが、こうした体感が失われていくということでは、自然界の恵みや暴走の脅威に対応していくだけのリスクを最小限に抑える技術とでもいうのかもしれない 数年前、友人の鶏小屋は、餓えて凶暴化したイタチだかの仕業による鳥獣害に見舞われ、当ラボにSOSが入った これは酷過ぎるその場の大惨事を観せられてしまい、もう呪われていたような気配すらあった いつものようにここではその詳細は記述出来ないが、咄嗟に南米から、わざわざこんな観光地へと出稼ぎにいらしておられたご家族の息子で中学生のカ○ロスくんにもお手伝い頂き、無残なお姿で犠牲となった茶色い首なしやら恐怖のあまり血しぶきをまき散らされながらの亡骸が、運搬され解体&そのガラスープ製作にと向かわせた 南米系おばさんの手際の良さと、カ○ロスくんの慣れたとも熟練された毛剥ぎ裁きを目の当たりにし、私はこれまで、このトランジット期間を単にムダに経過してきてしまったような反省や、自責の念さえもが脳裏を霞めて行くばかりだった 非常にムリとムダと無茶苦茶な時間が経過していた暗黒時代が横たわり続くのを気にしながら、美味満点の獣鍋にベロベロ鼓を打つ、こういった観点が生きてて良かったといったQOLであって、その他の感覚と云ったのは感じらることも何もない  こういった不況風に煽られてしまっているといった時には、殊更ながらにして、理不尽さを究めつけられるエピソードが度々ながらにして、この世相を襲撃するのでもある こういった現象は、時空を飛び越えながらにして、怪しげにもやってくるといった調子でさえある オカルト神話を覆させるだけの器量を持ち合わせてしまったのが仇となってさえもいたりしたので、どうにもこうにもなのではあるが、キビシイ時代には、厳しさが募ることを今更ながらにしての追憶セレナーデなのかもしれない そこには、ふとしたことでの何かの時代錯誤とでも迷信がまかり通ってしまうようなフテブテしさも潜んだりしている どうも水木センセーの仰る幾許かの古典的解釈には、私の個人的に感情移入させられている箇所を痛切に抱かせてしまってたりもするのかな 実の所は、うちの娘が、鬼太郎の女の子ヴァージョンなんではないのかってな風にも感じてたりしないでもなさそうで、、、どうも風貌が似通い、何かを発せなくも分かるような、分かってしまっているような、そんな感じでもあり、主なモノも皆白くなってきた して、様々にして各地に纏わる曰くつきの怪しげなお話といった類いにつき物でもありそうな、凄まじい呪われた過去だとか、顔に至ってはバッサリと食べられちまっただとか、蕩けてきたなんていった、昔の‘黒さを強調させたゴミ袋’さながらだともいえるのではないか・・・ あの暗黒時代には、ゴミ袋っていうヤツは決まって、ドス黒かった ただドス黒いと言ったって、あまりにもお肉のタケが大きすぎたり重過ぎたりしたら、とんでもないくらいにその黒さは、透き通りもするので、そんなトコにも恐怖を感じさせたりしちゃうのだ 特に個人的にしても、我乍ら痘痕と線に統一化傾向著しい見栄えといった恐怖&それらの孔に至っては激しくも損傷が著しい有り様であるために とてもではないが、メディアに晒されるような風貌ではなく、寧ろこのようなオゾマシゲな顔面はもう、生まれ付いての悪辣なるお面と化してもいるのであるのだから、こういった顔面に対する不必要な、普通の人間ならば、全くのところ、何一つ悩まない所に悩む我が身であって、これらは、ちょっとやそっとでは、整形のし様もないのでさえある 何しろ、常に崩れてしまうので、秒単位でのメイクが必須でさえあるのだから、どうしようもなくなっている いっそのコト、顔面のことは忘れ去り、顔面抜きの仮面舞踏会を開こうともしたのではあるが、ところがどっこい、そんな小細工をしたところで、クビから下というヤツに至っても貧相極まりないのでもある 化けもんが、或る朝言った「ねぇ、おまいさん、さてはてこの胸のへっこみ具合はどうしたものかねぇ、謎解きされますの」そんな安土桃山だったその昔みたいな会話がしてきたりもするので、ここでは、前出でのそんなカラクリなんかは、何も在ったモノでもないんですけれども、肉があるので、説明するには、その今は昔、嫉妬に狂い死んだエリートが、その見える肉のすべてを自分の支配下にしたいといった欲望を満たす、唯一の願望達成であったために この顔面及び至る所の肉などの組織や細胞をメチャメチャに破壊させ、手元に置くという あまりにも欲望に苛まれた、半ば病的ともとれる私的なコレクション収集家の怪しげなる行動様式であって、これらのアウトカーストならぬシュードラに嫁せられてもいた使命だともいえそうである 一時のアヴァンチュールでもなさそうだ これらには様々な臆測も潜んでいるのであるが、どっちにしろ、銅鐸は楽器なんだろうかといった災いも転じてくる 昔のパソコンはみんな銅製だとかいうヤツを見れば、それらが頭脳集団の祟りとも記されてくるものでもある まったく片付かない難問奇問の続出だけが押し寄せ、後はナニモノでもなさそうであり、今年もまた、海には行かなかったじゃんとか、海には入れなかった不幸を思えば、いったい何年に1篇の海なの・・・だろうか、しかも、そこに辿り着くまでには、干上がってしまうのかもしれないにも係わらずにである 個人的には、一人の時間を大切にするといったスタンスが変わりなくあり続け、風呂の薪なんかを探し回るばっちゃんが自転車をこいでやってきてしまってから、じゃ~、リンゴの枝っぷりなんかがサイコーだよって云って、小豆よりも、そっちへのベクトルを傾けてたする 傾ける方向っていうヤツを誰がどう決定打させるに至るのだろうか、、、今もってもわからず終い、そうこうしているうちに遺言書の効力をあの公証役場に座っている方々に述べられてしまう 何もしないでいても、それら祖先の歩んできた道のりをちょっとづつでもいいからその四方八方を活かすのはどうやら、間違いなくヒューマンフォーミュラなのだろう 蓮華合掌


タグ :鳥獣害対策

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Posted by このは なさくや at 09:29│Comments(0)ヒューマンフォーミュラ
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