2009年08月21日
予告無しに
国民健康保険税なるものの未納のために今後、財産調査や財産差押が予告無しに行なわれ、勤務先並びに金融機関に対する社会的信用が喪失するなどとする脅迫文書が、本日軍部統制局、国民年金担当より届くに至った 勤務先に関して云うならば、特に自営業で、ボツボツとやっているわけなので、特にどーというものでもなさそうだが、金融機関に関しても、金融機関なんてのは、単に通過媒体としての機能であって、今後は金融機関などといった無駄な組織は消滅するといったシナリオに従えば、特に社会的信用なんかは、それらの部位における無意味な脅しとしかとれなくなった しかも、軍部当局者らは、日付を指定して、相談窓口を開くから、来いという通達であった けしからぬ対応と、呆れたやり方に対し、契約の履行を武器にさせるという、窮めて横暴な軍事的な破壊的脅しを受け、それらの殺人鬼に対する防衛をしなければならない事態に陥ってしまった もう被保険者証なるものに関すれば、歯科及び外科以外は、特に不必要であるので、必要最低限での医療分野の確保のみを必要とするのであり、それらに至っても、恐るべき幼児期よりの虐待事件を加味すれば、それらおびただしい虐待の惨禍を潜り抜けた人類に対する償いをしてもらわねばならない軍隊当局自身の切腹でもある訳であり、財政健全の名の下において、メカニズムに組み入れられた人と人とのあいさを今後、どのように損害賠償して頂けるのかを見守りたくもある 人々の健康問題や、こころのケアや様々な機械には判定の有無を判断されない分野をも、それらの財政健全にインプットさせるといった迷信めいた拷問が罷り通る 在日だとか、外国籍呼ばわりされていたり、見かけがそれ風であるといっただけで、ケイサツが、身分証明になるものを出せ!●▼■登録証を出せ!被保険者証を見せろ! キサマ、持ってないのか?こっちへ来い! などと云って、通りの隅の方に連れて行かれて、‘5マンでどうだ、所持してないのを許してやろうじゃない’などと云った彼らに対するカツアゲが、正当化されているという このようなチホーにおける人権侵害は、おびただしい これらを先ず、率先して取り締まる筈の機関が全くのところ、何も考えてない 考えがない 人権尊重などと云った錆びた御題目が擦れた、消えかかったブザマナ垂れ幕と化してしまっている これらをすべて、公とすることを私一人の脳裏に焼き付けさせても、どうする事も出来ないが、悩む本人に至っては、発言力は全くない 声をあげる手段がないに等しい 字が辛うじて、自分の名を書けるのみといった知的障がい者にも、決まって、他の難しい漢字で書いてある数人の名前をこんな短期間で覚えられるわけもなく、しかもサイバンカンなんていうのは、辞めさせたいという名ばかりが連なっていても、一般的には何ら恩恵のないチホーでは、名前も顔も知らない、何の裁判を決定してきたヤツラなのかも何も情報もないのにその人間の名前を書け!と、拷問されているようなものでさえある ほとんどの底辺を担う人々の民意が何のことかも分かってもいない 況してや、養護学校などでは、セイジなんていう言葉すら、何のことなのかもわからなく、勉強も何も教えてももらえなかったわけでさえあって、こうした矛盾というものに 単に代理人が対応するなどといった事では、そこに偶々居合わせた代理人と称する人の判断に影響を受けてしまうのではないのだろうか…? 何も云えないからといって、強制的に進められていく判断という悪魔といつも隣合わせにいるのである 全くのところ、決めつけられてしまった判断下で丸めこまれる様相を呈してしまっているだけだ 子どもたち自身が今、本当は何を感じているのか 大人サイドが指揮命令するのではなく、大人の厭味な質問に答えているだけではなく、‘安心した場というものがない’ということ、そんな今、時間ばかりがかかる こうしたことが何も進められない殺人鬼の言うがままとなってしまう 下手な抵抗をすれば、どうなるかというものを考えると本当に恐ろしく、いまこの場に居続けなければならない事に慄いてもいる なぜ動けないのか…?それすらも分からない なぜかこうして、殺戮の場へと舞い戻ってきてしまうのである また、他に行っても同じことが何度も何度でも繰り返されてしまうのではないのかという思いも根強い こうして、再び私が行動を起こすことによって、殺人鬼らが、殴りかかってきて、何もしないくせに などと嗾けられ、お終いになるといった地獄画図が観え隠れしてしまう 新月の今日は本来ならば、願いの方向性を伝えなければならない所である 難病患者らの目線に立った地域となることは、どこでも可能なのか これでもまったく平等という名のもとに我慢を強いられるだけ、強いられて死んで逝くだけでもいいものなのかどうか こういった強制収容所に詰め込まれた期間が長期に及んでくるたびに そらオゾマシイ侵害事件の映像が、これは本当にここでの騒ぎなのか、それらがなかった事を証明するのは、まさしく酋長のセップクにもかかってくる一大事でもあり、慎重に扱うべき案件とされている 社会的信用の喪失という脅しは、もともと、ここではアウトカーストになっているので、そんなものは一切のところ、無関係でさえあって、なので、広報の具現化というものが重要とみなされてもいたわけである プレゼンの手法と云うか、メディアの見せ方も大事であるし、トレーニングをするためのソフトが必要でもある 全世界規模共通のコンセンサスを要し、精神的貧困の撲滅という目標も掲げてきたわけでもある 人材育成を叫んでいて、倫理や道徳といった観点では、本来の口が酸っぱくなるほどのトレーニングはあったのかもしれない ただゆりかごから墓場まで、その場でかたつむりのように過ごすチホーとすれば、動けない人類の身に積まされる不都合をや、注文をどうやってバランスをとってやっていくのかどうか、こういったモノが試されているし、こうしたことが、社会的実験とでもいうのかもしれない 毎度のことではあるが、土を観るということは、土の下の地下水に聴いてみるということを先達は、知っていたようでさえある むごたらしい人権侵害の放置は何れ、ひ孫や玄孫といった世代がそのままを忠実に継承するだけが続くのであれば、ただ単にみながその辺を右往左往として、その細胞が生きていたり死んでいたりをしてるだけにしか感じられない 何も感動もない 何も学びもない ただ干乾びたようにか細くなってか弱くなっていく女の子らが多い その正反対であるニクも多いのだが、それらに負けじとトリガラのような女の子、風で飛ばされて行きそうな感じで、ニコニコしているだけだ いつでも、ただニコニコとしている 恐らく何かを底辺の中に閉じ込めたまま… 蓮華合掌
Posted by このは なさくや at 10:15│Comments(0)
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