2009年08月01日
いのちびろい
人生僅か30年だとか50年といった人類滅亡の危機や、自然の連続性がたびたびにして途絶えたらどうなるか?といった遇ってはならにような事態というか、空間というかに偶々にして在ったとした 古代の人類は、現代のような不自然さで汚染された人類の魂を切なく思うだろうか それとも、自然には逆らえないわけなので、実に哲学的な見解になるかもしれないが、精神世界での繋がりが急速に広まっていくのだろうか 自然とわかってくるだとか、成っていくといった現象というやつは、信頼性に長けているし、またそういうものは永く続くと考えられている ここで“律義な商人”というやつが出てくるのだが、おととい私は、個人的に在日外国人と、この辺では呼ばれている方々の集まるレストランへと出かけて行った そこで、様々な方々と懇談させて頂き、帰ろうとした際、二階から降りようとした 階段を上の3段目くらいから踏み外したというか、夏様ミュールのヒール幅の狭いサンダルだったことも加担し、履いていたレース様の網の目のような引っかかりにミュールのヒールが絡み付いてしまった ギョッとした 一世を風靡した蒲田行進曲の階段オチじゃぁあるまいしね、そこから転げ落っこちたのだ 途中で体勢を立ち直せるようにも出来そうだったが、書籍だらけの厚い辞書までもが入ったトートバックなんかを持っていたために及ばず終い、その重みもあっての‘見てくれの大惨事’となってしまった 居合わせたのは、店の奥さんと他二人、みんなの目の前でのサプライズだった 恐らくもう二度とこんなことは出来ないかもしれない… すぐに椅子に座って、私は兎に角、どーいうことになっても痛みを感じられないといった調子なので、痛いところはない、ただ、両腕、両足に擦り傷と、右手首を突いたのか、血が流れ落ちてくるように真赤だ しかしながら衝撃のサプライズは、居合わせた人々の丸で何か咄嗟に忍法が飛び出したかの如くに訓練された身のこなしだったという ただ本人は、そういったものは一切のところ、何ら思わないし、自然だった ただ呆気にとられていただけだ そして、その後(これが一っ番重要なんだけど)、店の奥さんの温かい介護が嬉しかった 身体を看て、傷が観られるところをすべて、清潔なタオルに氷を包み、ご自身の手が冷たさで真っ赤になっていたにも関わらずに介抱してくださった、さっき御目にかかった半ば通りすがり的な私人に対して、誠に在り難いことです 人の慈悲心に接したという場面でした 今朝は、“水の日”これらの記述は後にするとして、両腕なんかは階段落ちなどの行動は、何事もなかったかのような調子、スネ皮膚の特に左足と臀部に擦り傷が確認されているだけでしたが、相変わらず痛さといった感覚がマヒ そういう自然界の中にいるだけです 魅せられたっといったのは、ジュディーオングさんの歌ではないにしろ、車中泊を迫られている方々の生きざまには、胸を締め付けられるものがあります それでも、こういった生き方もあったのかというのには、もう感情を奪われてしまうようなサプライズがあります ただここで詳しいことは述べないにしても、自然ではない人類だからこそ、“自然から学ぶ”といったことが子ども自身の自己像を形成していう上でなくてはならない経験の一つだと思います ただ自然から学ぶということについても、今は夏休みで、ムシ籠と虫とり網を持ってそこら辺をうろついている子どもらをチラホラと見かけますが、物珍しさの延長での昆虫採集です ベランダにウジが這いまわっている なぜこんな尺熱の場に丸々と太ったウジが這いまわっているのだろうか?疑問は深まるばかり、金めのモノならぬ、肉めのモノが在るのだろうか…ベランダのウジやキッチンのウジは、ご主人さまでおわす奥方の‘肉’のムンムンとする毒々しさを醸し出すニオイに誘き寄せられているに違いない 奥方の出没する場には、大体ウジが出没しているからだ そこにはカマドウマの姿は確認されない ゲジゲジもいた ゴキブリは寝ている間、足もとに潜り込んで、‘肉’の甘い誘惑を避けられないようだった 友人が先日、大きな鯉を携帯電話の画面に映したヤツを見せてくれた :「どーしたの?」 友人:「釣りして、こう網かけてとりました」 :「こんなビックなのだったら、私だったら市場とかどっかで競売にかけるよ!」友人:「煮て食べました」:「そっかぁ、肉厚で美味しかった?」友人:「三日間食べ続けたよ」:「表彰もんだね、キミは、、、」そんな暮らしぶりにも拘わらず、ニコニコしていた彼は、「この前、●▼■人に‘オマエは、世の中が厳しいことを知っとるのか’と怒鳴られました しかし、今、衣食住の心配の何もない●▼■人からそう言われても…」:「対等じゃないし、フェアじゃないし、全部なくなっても何も知らないと思うよ、そういった●▼■人なんかね」こんな展開だった さて、本題の“いのちびろい”ですが、これは深海の懐に似た何かがあり、そのパワーだとかエネルギーが培われた瞬間に私たちは、いのちをあらゆる場面で失いも拾われもする 運命というよりは、自然の成り行きかもしれない 私は今、こうした経験に裏打ちされたヒューマンフォーミュラとしたパワーを少なからず感じずにはいられない 二重の虹が歓迎してくれてもいた 蓮華合掌
タグ :介護
2009年07月28日
脳死社会の是非
まぁね、自身としたら惨めな感じだったけど、現実的に考えれば、経済的な陰謀めいた金銭収入が途絶えていたとしたのみで、他の人間がどーのというものではなかったというのはあった 即ちこれは菩薩行であったわけでもある ただ観えない世界では菩薩行を要求させていたのだろうが、現実的な可視化された社会では、賃金が支払われないという事実とした法的な道義的責任めいたものがあるようにも思われる 経済的貧困といったことはいつ誰の元に急にやってくるかというのは、わからないし、準備とかするようにはなってもいない しかしながら、どうしてもこのような経済的貧困というのを叩き込まれ、刷り込めさせられてもいるのかもしれない 一方で、経済的貧困といった事実の目の前にはいったい全体どういった精神的貧困が介在させられているのだろう? こういう現実は、どうしてやってきてしまったのか? 今日も、成人した障がい者が高熱を出したので、B型施設では看護不能なので、一刻も早急に迎えに来いと言った電話がかかってきた そして、私立高校では授業料減免申請書類の追加添付資料としての保険証のコピーを今すぐに学校まで持ってこいというのを高齢な家族へのメモリーとして託けが在った 電話といった悪魔の調べに似た戦慄を感じてもいた そしてまた、逃避行の計画を緻密に練り直す作業が繰り返されてもいた 慈悲だとか慈愛といった感情は微塵もないものとされているように思われてならない いっそのこと、電車網一帯に河の流れの音声だとか、小鳥が鳴いているといった自然音を大音量で流すのはどうだろうか そんなこんなを思わないでもないのではあるが、今日は私立高校生が、高校までの片道自転車で、1時間あまりのところを走っていった この高校生は、左下肢麻痺の難病でもあったが、県の難病支援を去年度をもって打ち切られていた 常時、頭痛、貧血、足の痛みは続いてもいて、難病が完治していないし寧ろ、悪化させられている極限環境に放り込まれてさえいる現状なのに・・・である こう記して、例えば健康を害されていることはなかったことにさえしてしまう現行の流れを忠実に記録媒体に保存させておくといった行動に徹するのでもある ああいったじっさは、もうかなり重症でさえあって、脳みそといったものは機能していないのでもある あのじっさは、いったい両生類の類なのかもしれない 冷血人間さながらだ そういった脳死状態を加速させてもいるのである いったい‘脳死’しているのは誰なのか 主語があいまいになってさえきてもいる 脳死した今ではあるが、本来の死後の世界という弔いを鑑みた際にあれらの絶対君主は、何もなかったことになってはいるが、無念ともされないであろう ただそういった惨めさがある もうすぐ、そういった弔いがやってきてしまうので、それらの沈没船には、相応の代償をして戴かねばなるまい こうしたものは復習といった攻撃ではなく寧ろ、正当防衛さながらですらある でなければ、無様に殺戮させられてしまって逝った仲間には、申し訳が立たない 個人的に行動を起こすことによって、何かが一ずつ変化するとすれば、こーしちゃいられないんであって、即合掌生活に入るのである 合掌生活に入ることこそが、真の経営者だともいえる 今ある空気の密度のうち、一つずつでもが繋がり合って、こーやって出来ている空気の分子同士が午となって繋ぎながらいるんだね お互いが尊重し合う姿勢でないといけないって思ってる もう既に滅亡も甚だしい 甚だしさを極めてもいる 出来れば、自動販売機のアルミ缶を飲まないでほしいのと、カドミウム汚染著しい水をのまないでくれ そして、今は地下水のヒ素汚染が急激さを増してもいる 少しは有害金属と共鳴してしまう人間の身体である水分を考えよう! ただそれだけかもしれなくなってしまった
It's my duty to do that.
It's my duty to do that.
2009年07月20日
いのちだけは自分で
◎◎◎Tから、三ヶ月目に突入し、日も長くなってきたし氣も緩みがちだし、目的が何一つ見つからない 小さい小さい毎日の積み重ねでしかないし、目的は地域社会に出て個人的に個人が適応順応していく 服装の乱れ、靴のかかとを踏む、下着の柄がワザワザ見えるようにする、‘ドキッとしてしまう’ 忘れ物が多いし、チェックが甘くなってきているように思う 朝は午前8:10に読書が始まります この時間までに来られない、遅刻が大変目立ちます 遅刻どころか欠席が多い 提出物が出なくなってきた 集金を忘れずに持ってこない 虐めの一歩手前、●▼■が付き合ってるだののメモが、その辺に落っこちている 要は加害者も被害者もつくらない 他人の噂話があったら、、、もうこういう時点がサイン 中学生にはいまインターネットやらチャットやらプロフなど必要はないっ! 警察の方で7,000~8,000件/月もの問い合わせがある 身だしなみを気遣うようになったら危険信号! 身の回りのもの、モノが忽然となくなる、見つからない 悪気なく借りてしまう 勝手に借りてしまう 借りているvs.貰った 勉強の関連で悩んでいる 8月には職場体験があります 自分自身の長所がいえない児が目立つ いのちとは、、、 反射板がついている リュックなどで反射板が隠れてしまって用を成さない ‘いのちは自分でどーにかしてナントカ守ることっ!’この夏休み中がキーポイントになると思う 自分自身の実になるかなっていうこと 温かくなるような言葉がけを親御さんは胆に銘じてください 以上生活面について気になったことをセンセイから発表して戴きました 次に学習面について、○○○Tから、中間テストが済んで一喜一憂しているといった現在、残念ながら●▼■中学の生徒は学習が全く出来てないっ! 基礎的なことが全然出来てないっ! 文章を読み取る力は今ひとつ、中間テストの平均点でいうと、理科47.0点という始末 入試に出るかどうか各教科、総合的な問題となって難しくなってきている 文章を読み取る所が出来ていないのかなっというのが率直な感想 授業中の発言なんかも、グループ間の発言も、ともだち同志の関係で偏る 積極的に授業にかかわるという意欲を持ってもらいたい 3時間/一日はベンキョーしなさい!と、親御さん方から強く声がけをしてやってくださいっ サイテーラインですが、、、勉強しようねじゃ甘すぎる 家庭学習の3時間は厳守してください 期末テストのテスト範囲はもう既に出ていますので、その点は十分お家の方でも勉強をさせてください 以上、次に簡単ではございますが、○○自然の家へのキャンプについてを ▼■●Tから、7/19.20と予定されておりますが雨が降ってもやります 生徒たちにはビデオで説明を終え、バンガローに宿泊です 持込禁止のモノがあり、多少金銭負担をご家庭にお願いしてしまいます 事前の健康診断にはこちらの問診票を提出下さい 蚊に刺されるとヤバイことになりますので、虫よけスプレーなどを絶対持っていってください 当日行動する班も決まって係も決まりました 以上です その他、職場体験学習に関して、現在のところ30職場が挙がってきていますが、希望アンケートを提出して下さい 文化祭には、体験した内容を展示発表する予定です 職場の中で、◎◎美術館が一番遠くて、引率のセンセイにはご苦労をおかけします 最後に交通安全について、通学途中、自転車で赤信号で突っ切る、休みの日にヘルメットを被らない生徒が多数いて危ないなどの電話が学校にかかってきます 学校の方でもそういったムチャをする生徒に対しての指導強化をしているところではございますいが、何分ご家庭におきましても、危険ですので、注意をして下さいお願い致します 学級PTAで、先ほどの生活面での◎◎◎Tに質問ですが、男子生徒と女子生徒の間に溝のようなモノがあって、何か敷居が高くなっています 面識のない児とは一切話をしないという事が徹底されているように危機感がある 何かスムーズにいくようにしている 波風を立てずにコトを荒立てないように教育させられている ‘お腹が痛むとか、頭が痛む’社会体育の時間だけではなく、ゆっくりと身体を休ませる日などが地域によってはある その辺がうまくいってない 疲労骨折が多くなってきている 給食が足りていないんじゃないかな、残す量が多い 嫌いな普段食べないもの食べられない 普段から出来合いのおかずやコンビニ弁当おにぎり、ファーストフードでの味に慣れているので、給食が食べられない、まずいという テストの結果が出てもうすぐ配られます 兎に角授業を大切にして、休み時間も有効に使って勉強をやっちゃえればという気迫で、生徒たちもうんとがんばっています しかしそれらが返って疲れすぎてしまう結果とも感じられています 生徒本人がものすごく疲れている 月曜日の朝が辛くなっている 養護Tに訴える ‘あ"~腹痛ぇ’部活が疲れるという 夏場は特に疲れが絶好調に達するようだ
ソートー前になりなすが、まぁ人が入れ替わったくらいで、全くのところ同じなのではないかという感じです こういったモノがビッシリと記録され続けてどーにもなりませんが、ただこれがこのままの状況下で動き続けていくのだけは、勘弁してもらいたい氣もします ゲンバではいったいどーいったコトが起きていて、うやむやと云う名の下において、カラスがギャーコラと鳴き喚くといった感じは否めません 何もいえなくて・・・夏のような事態にまた、身体的な恐ろしく腫れも伴った‘イタミ’に苛まれ続けるというよりも、続く 蓮華合掌
ソートー前になりなすが、まぁ人が入れ替わったくらいで、全くのところ同じなのではないかという感じです こういったモノがビッシリと記録され続けてどーにもなりませんが、ただこれがこのままの状況下で動き続けていくのだけは、勘弁してもらいたい氣もします ゲンバではいったいどーいったコトが起きていて、うやむやと云う名の下において、カラスがギャーコラと鳴き喚くといった感じは否めません 何もいえなくて・・・夏のような事態にまた、身体的な恐ろしく腫れも伴った‘イタミ’に苛まれ続けるというよりも、続く 蓮華合掌
タグ :中学校
2009年07月17日
Capriccis
近頃では、カブリオレなんていう自動車の名は聞かなくなった それにしてもそーとーな気まぐれの気質を備えていなければならなくなった まさにヤギのようなものである どーにも喉の奥に何かが蹴躓いてしまっている すぐに鉄を銅をなでたりしてるだけではあるが、まともなモノは何もないのかっ・・・?なんていうのを考えてみたりもします 昨晩の豪雨は激しかったし、その雨が叩きのめすタキロンの音に反応して、何かが念力を携帯の呼び出し音の閃光にも似た点いたり消えたりをさせている “ここに届いてます、ありがとう”、ダイジョーブというのをきちんとこういった暗号のようなので伝えます 本当に凄まじい雨だった ゲリラ豪雨は急にやってきた そして、其処ここに何らかの魂を宿らせていく カラスといった霊長類は敏感である 何者かの生まれ変わりでもあるからだ それに比して、また●▼■課のXXX課長と話をしなければならなかったが、XXX課長の半径1mに近づいただけで、サッシの戸から漏れてくる濃硫酸みたいなドブでミミズを採っていた頃に戻らされるので、こちら側としては、ひとたまりもあったものではなかった 課長も誰か家族と同居されているらしいが、その胃が酷く悪いような口内を決して開かないよう、文面での会話を要求したいほどであった あからさまにも、その課題点を指摘するこども面が出てしまったら最後、もう二度とはこの課そのものへ、足を運ばずに済むモノを・・・またトホホ感に苛まれてもいた、ですので、行を変えてみます
そもそも"バイオテクノロジー"と云うやつは、環境浄化目的の主語だったのではないのか、、、そこで、この主語を持ったというか、青銅器時代にでも移行すべく定められた我ラボでは、いかにして、間一髪的重篤な状況に瀕した人類へも平等に快適なそのひとらしい、らしさの保てる場が必要であると考えるのである それは、ありもしないおとぎの国をないから創ろうって言っているのではないにしても、ジェノサイドのような状況が歴史的にも再現させられてしまうのを何とかしてどーにか食い止めたい所の人情でもある 故開高さんのパニックではないけど、その120年ごとにきっちりとやってくるねずみ集団の集団自決みたいなものかもしれないし、それら石器時代の終末にも似た石全滅時代への警鐘はいくらでも鳴らされているのであって、且つその警鐘を個人的にも、そして、国際的にもどういった手立てを駆使していけるか、、、本来の個人的な漠然とされた事象さながら、孤児の出生秘話に遡るのでもあった 今は亡き祖母に聴いた過去によれば、その孤児は、あの木の橋の袂にコタツの下掛けのようなパッチワークさながらの古ボロ布にくるまれて落っこちていたのだそーだ なぜっ?それに祖母は氣がついたのか…と云えば、当時流木を風呂の焚付けに使用するため、橋の近辺をうろつき回り、流木をかき集める日課なのであって、特にそのに湯気のたった赤ん坊がただそこに置いて在ったとしただけのことだった 祖母はまだ子のない、がしかしながら、仏教信仰には篤い長兄の子孫繁栄のためにも、その赤子を拾ってきしまうに至ったのである その日は、奇しくも反戦記念日の翌日でもあり、そんな世界反戦デーであったなんて言うことについては、母子家庭の祖母にとっては、特に世界反戦デーも何もあったものではなかったのかもしれない ただその哀れ過ぎた赤子を人道というナニモノでもなく拾い上げてきただけであった 一度は、生活苦を案じ、見過ごそうとしたとも云う その後、、、この孤児が二歳を過ぎたころだろうか、、、いつも、大抵その孤児は暗闇にいた、というよりも真っ暗闇のただ中に蓋をされ埋もれていた 継母の背におんぶさせられ、怪しげな月はコッチを観ているといった感覚であったし、凍て付いたその頬や、足の感覚やらで、脳性麻痺さながらが起こってもいたのであった 宗教精神、特に仏教観念に忠実なこの見合いをさせられた夫婦の男と女の間とは、常にけんかが絶え間なく遭った それら、二人の間の個人的に起因する激しく醜く他を犠牲にさせた‘けんか’に相応する分類なのであったのかもしれない しかし、子ども、いや赤ん坊に与えられた衝撃というやつは、図りしれないダメージ、しかも取り返しがつかないといったおまけまでがついてしまった 所謂戦争状態だった 引き取られた間際から、夫婦間の戦争に何か加担させられてしまっていたのでもあった その赤子は、何らかの洗礼を受けたのでもないので、祖母や継父母の支持した仏教を祖とした宗教に収まるしか、目下のところ、成す術はなかったし、選択肢はないし、‘三代目さん’などと言ったどこぞの襲名を匂わせるような呼ばわれかたをされもした 仏教精神がその終日を覆う一家の日常がそこには、ただあった 継母は、朝夕のご供養といったものは決して欠かさない 勿論、祖母も右へ倣えであった 調子っぱずれのお経の唱がただ常に聴こえてくる環境なのである 必然的に何かに執り付かれてでもされてしまったかのように それらのお経は暗礁されもした こーした善き習慣化というものが、どんな影響力を持つか、この孤児が立証させてしまう 若夫婦は、相変わらずモノの投げあいや、言い争いを続けても居た 幼い孤児にとっては、戦時中のナニモノでもなかった たとえそれが、国家体制の犯した罪ではないにしても、、、危険地帯を逃れるには、いつも主を早く亡くした祖母と一緒のことがその時間の多くを占めていた 継父母と過ごした時間といったものは、ほぼない 何も思いも出せない ただ継父は、その女の子が庭で掃除をする風な写真を撮っていた 何かそーいった女の子らしさを意識させるような写真を残そうとさせた そこへ、第一子の妊娠がわかった そーいった途端に夫婦の蜜月が続くのでもあった 迷信に絆された女の子は、いらない存在であって、早くこの世から消えてくれた方がいいといった調子が見え隠れするのでもあった 待ちに待った長男誕生に沸くこの夫婦意は、長男の出生直後の写真のあまたが、物語る、、、この国家の長男に対する、異常なまでの絶対君主のような軍隊をにおわせるサガでもあった その犠牲に差し向けられた長女を推しつけられ宛がわれたそのドブさらいの孤児は、悲劇的な一つ一つを明かすそれらの証し、、、そんな中、保育制度が始まる 孤児家族の暮らす強制収容所からは、自転車でも30~40分もかかるような場所で保育生活ならぬ幼児用強制収容所生活が始まる 常に継母はリウマチスの激痛を抱え込みながらの自転車での、、、継母は何かに鞭打たれるような送迎さながらで、さらにこの孤児はその自転車の固い金属性の椅子にデコボコを繰り返され、その強制収容所に到着するまでには、尻が鞭打たれたようだった このリウマチス羅患者への周囲の対応は、薬物や断食といった通説に基づかれてもいた そのただ、日中を過ごすのみの場を与えられたのだ 孤児はそこで、当時絶大に支持されてもいた“アタックNo.1”のあゆはら こずえのイラストやその他のイラストを描いていた 描いていたなんていうよりかも、みんなから頼まれて描いていたにすぎない 兎に角、みんなしてみんなが、ただ縁ってきたのであった 不可思議だったが、事実は小説より奇なりという具合に、、、だった 驚いたただ孤児は驚きを隠せずにいたが、ただそのイラストをみんなの要望に応えようとしていたに過ぎないのでもあった 行く手には全滅といった未来だけが現れているのだというのに ただそーいったものも、民法上は誰だって、どーすることもできない全体主義の下に一方通行のようなものだからでもある この先には何が待っているのかというものは、真実は簸た隠しにされるのみなのだ
そもそも"バイオテクノロジー"と云うやつは、環境浄化目的の主語だったのではないのか、、、そこで、この主語を持ったというか、青銅器時代にでも移行すべく定められた我ラボでは、いかにして、間一髪的重篤な状況に瀕した人類へも平等に快適なそのひとらしい、らしさの保てる場が必要であると考えるのである それは、ありもしないおとぎの国をないから創ろうって言っているのではないにしても、ジェノサイドのような状況が歴史的にも再現させられてしまうのを何とかしてどーにか食い止めたい所の人情でもある 故開高さんのパニックではないけど、その120年ごとにきっちりとやってくるねずみ集団の集団自決みたいなものかもしれないし、それら石器時代の終末にも似た石全滅時代への警鐘はいくらでも鳴らされているのであって、且つその警鐘を個人的にも、そして、国際的にもどういった手立てを駆使していけるか、、、本来の個人的な漠然とされた事象さながら、孤児の出生秘話に遡るのでもあった 今は亡き祖母に聴いた過去によれば、その孤児は、あの木の橋の袂にコタツの下掛けのようなパッチワークさながらの古ボロ布にくるまれて落っこちていたのだそーだ なぜっ?それに祖母は氣がついたのか…と云えば、当時流木を風呂の焚付けに使用するため、橋の近辺をうろつき回り、流木をかき集める日課なのであって、特にそのに湯気のたった赤ん坊がただそこに置いて在ったとしただけのことだった 祖母はまだ子のない、がしかしながら、仏教信仰には篤い長兄の子孫繁栄のためにも、その赤子を拾ってきしまうに至ったのである その日は、奇しくも反戦記念日の翌日でもあり、そんな世界反戦デーであったなんて言うことについては、母子家庭の祖母にとっては、特に世界反戦デーも何もあったものではなかったのかもしれない ただその哀れ過ぎた赤子を人道というナニモノでもなく拾い上げてきただけであった 一度は、生活苦を案じ、見過ごそうとしたとも云う その後、、、この孤児が二歳を過ぎたころだろうか、、、いつも、大抵その孤児は暗闇にいた、というよりも真っ暗闇のただ中に蓋をされ埋もれていた 継母の背におんぶさせられ、怪しげな月はコッチを観ているといった感覚であったし、凍て付いたその頬や、足の感覚やらで、脳性麻痺さながらが起こってもいたのであった 宗教精神、特に仏教観念に忠実なこの見合いをさせられた夫婦の男と女の間とは、常にけんかが絶え間なく遭った それら、二人の間の個人的に起因する激しく醜く他を犠牲にさせた‘けんか’に相応する分類なのであったのかもしれない しかし、子ども、いや赤ん坊に与えられた衝撃というやつは、図りしれないダメージ、しかも取り返しがつかないといったおまけまでがついてしまった 所謂戦争状態だった 引き取られた間際から、夫婦間の戦争に何か加担させられてしまっていたのでもあった その赤子は、何らかの洗礼を受けたのでもないので、祖母や継父母の支持した仏教を祖とした宗教に収まるしか、目下のところ、成す術はなかったし、選択肢はないし、‘三代目さん’などと言ったどこぞの襲名を匂わせるような呼ばわれかたをされもした 仏教精神がその終日を覆う一家の日常がそこには、ただあった 継母は、朝夕のご供養といったものは決して欠かさない 勿論、祖母も右へ倣えであった 調子っぱずれのお経の唱がただ常に聴こえてくる環境なのである 必然的に何かに執り付かれてでもされてしまったかのように それらのお経は暗礁されもした こーした善き習慣化というものが、どんな影響力を持つか、この孤児が立証させてしまう 若夫婦は、相変わらずモノの投げあいや、言い争いを続けても居た 幼い孤児にとっては、戦時中のナニモノでもなかった たとえそれが、国家体制の犯した罪ではないにしても、、、危険地帯を逃れるには、いつも主を早く亡くした祖母と一緒のことがその時間の多くを占めていた 継父母と過ごした時間といったものは、ほぼない 何も思いも出せない ただ継父は、その女の子が庭で掃除をする風な写真を撮っていた 何かそーいった女の子らしさを意識させるような写真を残そうとさせた そこへ、第一子の妊娠がわかった そーいった途端に夫婦の蜜月が続くのでもあった 迷信に絆された女の子は、いらない存在であって、早くこの世から消えてくれた方がいいといった調子が見え隠れするのでもあった 待ちに待った長男誕生に沸くこの夫婦意は、長男の出生直後の写真のあまたが、物語る、、、この国家の長男に対する、異常なまでの絶対君主のような軍隊をにおわせるサガでもあった その犠牲に差し向けられた長女を推しつけられ宛がわれたそのドブさらいの孤児は、悲劇的な一つ一つを明かすそれらの証し、、、そんな中、保育制度が始まる 孤児家族の暮らす強制収容所からは、自転車でも30~40分もかかるような場所で保育生活ならぬ幼児用強制収容所生活が始まる 常に継母はリウマチスの激痛を抱え込みながらの自転車での、、、継母は何かに鞭打たれるような送迎さながらで、さらにこの孤児はその自転車の固い金属性の椅子にデコボコを繰り返され、その強制収容所に到着するまでには、尻が鞭打たれたようだった このリウマチス羅患者への周囲の対応は、薬物や断食といった通説に基づかれてもいた そのただ、日中を過ごすのみの場を与えられたのだ 孤児はそこで、当時絶大に支持されてもいた“アタックNo.1”のあゆはら こずえのイラストやその他のイラストを描いていた 描いていたなんていうよりかも、みんなから頼まれて描いていたにすぎない 兎に角、みんなしてみんなが、ただ縁ってきたのであった 不可思議だったが、事実は小説より奇なりという具合に、、、だった 驚いたただ孤児は驚きを隠せずにいたが、ただそのイラストをみんなの要望に応えようとしていたに過ぎないのでもあった 行く手には全滅といった未来だけが現れているのだというのに ただそーいったものも、民法上は誰だって、どーすることもできない全体主義の下に一方通行のようなものだからでもある この先には何が待っているのかというものは、真実は簸た隠しにされるのみなのだ
2009年07月16日
キャミソール
こー暑いと、どーしたって薄着になっています 薄着というよりも、ハダカに近しいような格好になります それにしたって皮や皮膚を脱がすわけにもいかないので、暑いというのは本当に堪えます 涼しい川風が偶に入ってくると、頭もシャキッとなるにはなりますけども、こんなハダカ族様でいると、忌まわしい出来事が、震撼として脳裏に戦慄が走ります この前の点滴のドス黒さの残った皮膚は先日までには、薄皮が剥げてうっすらとなっていくように感じられてはいるものの、どーしたって色がついているとは云わないまでも、酷く汚らしいのである これは、他人が観るのと自分が毎日確認してるのとは違うと思われる点もあるが・・・度重なる陵辱の果てに様々な機関との連絡を絶ち、道端に敷いた茣蓙の上にとぼしい残飯同様に扱われるモノなんかを並べてるんだけどビニールカバーが被ったまんまの書籍やら、貰った袋詰めになった味噌パンやら、UFOキャッチャーで辛うじてクスネタような思いっきりでかいぬいぐるみとやらなんかを一個ずつ売りさばくといったことをフリマでもなんでもないのに 観光地目的にどっかからやってきた通りかかった知らない人たちにウルという売りかたを楽しむ 炎天下はどこもかしこもアチーので、たまには、二歳三ヶ月くらいに成長した樹木の木陰で涼んでみたりもする お昼時になると、観光客の足もぱったりと途絶えてしまうので、その一時間二十分くらいは、打っているといった調子であった 人がアウトドアを楽しんでいるというのに 顔や身体への照り返しや紫外線は強く、サンシェイドをぬり直しては、肩から染み出るような細かい塩をタオルで拭いたり、その塩を集めて何かに使おうかとか考えていた それにしてもこの塩は価値がありそーだ とニヤけてくることもある たった1mgでどれほどの値打ちがあるか・・・?考えただけでも恐ろしくなって、またニヤニヤしてきてしまうのである そんなもん誰もかわねーよって思ったけど、まぁモノ好きみたいなヤツが観光で来たら、こじゃれたビンに入れて、ピンクのビロードのリボンでもかけておこう
客:それはなんですか?
me:塩です
客:かなりサラサラだね
me:えぇ、製造元は血統証がついてます
客:ふぅむ、おいくら
me:この製品も今日しか売らないつもりですので、お安くしときます
客:ほぉ、で、お値段の方は、、、
me:現金は要りません 客ギョッとする
客:じゃ、VISAかMASTERかで、お願いできるの?
me:いいえ、ここにお客様と一緒のガゾーになって下されば、それで決済はおしまいですよ 簡単ですよね 客再びギョッとして 客:どれどれ、どれ、、、おぉ・・・、これは、凄い!キミぃ、ここをプッシュしてこの画面とキミと一緒にガゾーにすればいいんだね、これでいいね 有難う 嬉しいよ 何度か聞き返して、相槌を求められた
me:いえいえ、私の方が嬉しいです、お客様 ほんとうに有難うございます こちらこそ、感謝致します 客:じゃぁ、この小さなビンを戴いていくとするか、それにしてもサラサラで美しい、、、どうもありがとう
といった具合に一個ずつ売りは相変わらず続いたが、現金には相変わらず結びつかなかった 笑い話のようなものかもしれない 年中行事のような教育金助成陳情へと、大きな市長、教育長、議長なるモノと会合を持ったが、またそこで、やらかしてしまった こんなんでは硫酸を顔にぶっ掛けられても腹の虫は収まらんと言ったセンセーが、私に噛み付いてくるだろう さっさと逃亡してきたが、今度は公証役場だ ここでは、支払いが滞っている相手を連れ立って来いとかいうじいさんが待ち構えていたのみであった やりきれなさとそんなバカな場所へワザワザ行ってしまったという自責の念を堪えつつ、大型スーパーへ買い出しに ほんとうにめまぐるしくて、グルグル回っているような状況である 足の踏み場もなく、またどこかのなんちゃらかんちゃらへと、出かけないといけない それらの書類は見当たらない そして、お決まりの如く、「その書類ってワードかなんかで出来ないんですか?」と、また何十年も前から言っているが、一向に変化の兆しは見当たらないで、またこの書類に手書きをしている 引っ張り出してきた前年度の書類とはいったいどこがどー違ったかというよりも、年々にして書類が増えているのが実態でさえあったのである また書類書きおばちゃんに徹するのみである こんな風で、何もまた手にはつかないまま、終日は経過するというものであった 私には宿題が他人の何倍もいや、何千倍も日々、出題され続けている感じに思えてくる それで、いつも会議にこないだとか、時簡に遅れてきやがってとか、挙句の果ては、何もやらねーくせに生意気な口を利きやがるなといった調子で対応されるのが、常だった 在り難かった もうここへ来るという理由に終止符を打ってくれたからだった もう嬉し涙でいっぱいだった 何度も何度も感謝して、オサラバした とてつもない憂鬱という黄昏が重くのしかかっていた またもや酸素不足状態に陥りそうだった
客:それはなんですか?
me:塩です
客:かなりサラサラだね
me:えぇ、製造元は血統証がついてます
客:ふぅむ、おいくら
me:この製品も今日しか売らないつもりですので、お安くしときます
客:ほぉ、で、お値段の方は、、、
me:現金は要りません 客ギョッとする
客:じゃ、VISAかMASTERかで、お願いできるの?
me:いいえ、ここにお客様と一緒のガゾーになって下されば、それで決済はおしまいですよ 簡単ですよね 客再びギョッとして 客:どれどれ、どれ、、、おぉ・・・、これは、凄い!キミぃ、ここをプッシュしてこの画面とキミと一緒にガゾーにすればいいんだね、これでいいね 有難う 嬉しいよ 何度か聞き返して、相槌を求められた
me:いえいえ、私の方が嬉しいです、お客様 ほんとうに有難うございます こちらこそ、感謝致します 客:じゃぁ、この小さなビンを戴いていくとするか、それにしてもサラサラで美しい、、、どうもありがとう
といった具合に一個ずつ売りは相変わらず続いたが、現金には相変わらず結びつかなかった 笑い話のようなものかもしれない 年中行事のような教育金助成陳情へと、大きな市長、教育長、議長なるモノと会合を持ったが、またそこで、やらかしてしまった こんなんでは硫酸を顔にぶっ掛けられても腹の虫は収まらんと言ったセンセーが、私に噛み付いてくるだろう さっさと逃亡してきたが、今度は公証役場だ ここでは、支払いが滞っている相手を連れ立って来いとかいうじいさんが待ち構えていたのみであった やりきれなさとそんなバカな場所へワザワザ行ってしまったという自責の念を堪えつつ、大型スーパーへ買い出しに ほんとうにめまぐるしくて、グルグル回っているような状況である 足の踏み場もなく、またどこかのなんちゃらかんちゃらへと、出かけないといけない それらの書類は見当たらない そして、お決まりの如く、「その書類ってワードかなんかで出来ないんですか?」と、また何十年も前から言っているが、一向に変化の兆しは見当たらないで、またこの書類に手書きをしている 引っ張り出してきた前年度の書類とはいったいどこがどー違ったかというよりも、年々にして書類が増えているのが実態でさえあったのである また書類書きおばちゃんに徹するのみである こんな風で、何もまた手にはつかないまま、終日は経過するというものであった 私には宿題が他人の何倍もいや、何千倍も日々、出題され続けている感じに思えてくる それで、いつも会議にこないだとか、時簡に遅れてきやがってとか、挙句の果ては、何もやらねーくせに生意気な口を利きやがるなといった調子で対応されるのが、常だった 在り難かった もうここへ来るという理由に終止符を打ってくれたからだった もう嬉し涙でいっぱいだった 何度も何度も感謝して、オサラバした とてつもない憂鬱という黄昏が重くのしかかっていた またもや酸素不足状態に陥りそうだった