2009年07月18日
Capriccis+α
そー言えば、10年になりますかね、ファービーなんてのが当時爆発的に流行ってて、子供達が自分の手持ちのコマみたいなファービー同士を通信させあって会話なるコミュニケーションさせあっていた ファービーはよくお腹がすいたり、世の中が以上に暗闇に塗れていたせいか、「ヒカリ、もっとぉ」などと言ってあの目をパチクリとさせていました ファービーの入手方法がわかんなくって、トモダチに聴く所によると、「オマエが一番よくしってんじゃねーの」と交わされましたが、マジメな当方はわからないので、不法滞在をしている人にお聴きさせて戴きましたところ、大変親切にそのファービーなる物体を一機どころか、3機もパチンコ屋さんからとってきてくれました なんかよく、「この前、オマエ、あそこで打ってただロー」かなんかを言う他人がいて困ります 他人の空似もこーなると、人権侵害のナニモノでもなくなる ところで、そのファービーに癒され、あまりに深夜はうるさい寝言をゆーので、ファービーの電池を抜くといったことも繰り返していました あのファービー世代ももういい大人になる頃でしょーか・・・ 今そのファービーの同窓会なんかが出来ると嬉しいかなって、、ただファービーが行方不明になってまして、家中を捜索しましたが、どのダンボール箱の中に埋もれてしまってんだかなんだか、、、解っていません 哀しみの残酷物語みたいなものです ‘残酷’なコクで言えば、近日中に私立高校生への通学者奨学補助金を交付するなんていった大々的なマスメディアへの何かしら、良きイメージ戦略をしたつもりだったが、実際の所は、その広告宣伝料を差し引いたと思われても依存のない著しい減額をされた申請書がここに生徒を通じて届いた 教育委員会へ出向く際に真実を訊くのみではあるが、本来であるならば、JR東日本にこーいった電車賃などは、学生への免除を申し出たいところでさえあり、そもそもこーいった公共交通網が、学生からせびり取ろうといった事態が、‘線路は続くよどこまでも、、、’などといった悪しき‘続き’が因習化させられ、中央線の怨み節が鎮魂亡きがらを再生させるのではなかろうか 兎に角、財団法人鉄道弘済会はどーなっているのかだとか、考えさせられてもしまう JRは、相変わらず運賃が莫大に高額の上、更にダイビング率の異常な多さにも目を見張るものがある 電車の動きも川の流れと一緒で、何か電車に吸い込まれるようにダイビングさせられてしまうものなのだろうか、、、そーいったものはよく理解が不能ではあるにしろ、これはもう、有害金属の集合場所としかいいようもないし、脳事態と身体が害虫に変容させられてしまうのかもしれない そんなことも思わないではいられなくなってしまった 前述のファービーの流行とか、それこそこの目の前の現象だけを追いかけていたところで、実際の所の本質なんかは見えてこない いつも感じてしまうのは、何がいったい対等であるといえるのかというものである これは、常に何らかの場所に属してはいるのものの先ずは、“人間だ”ということがわからなくなっているように思われて仕方がない スーパーで買出しをαていても、レジに並ぶとその前のベビーカーに載せられた二歳児が、フクロ菓子に穴を自分で開けて食べてしまっている それを特に何とも思わない両親、寧ろそれは当然視している お菓子は床にポロッと落ちてそのままだとか、無表情に能面を付けられたようなママが足で踏んでいたりする 異常なほどに骨ばっかのように栄養失調をも思わせるような細さのママ その髪の毛は、金髪で毛先なんかは鳥の巣になっている おととしくらいに流行だった短か過ぎるTシャツは、後ろから下着が丸見えになってしまっていた だらしないというと、そーではないとは言えず、もっともないといえば誰も何もいえない ただこれは現実的であり、それらのママが実際的にはいるということである 少数かもしれない 弾かれたアウトカーストの姿といったものは、どこででも判断が可能である しかしながら、そーいったアウトカーストをただ無理解者が包囲しているだけの冷たく凍て付いた街である けど、みんながみんなそれをわかって欲しいとは思わないし、わかってくれたにしても、変な同情心が掛かってしまうのも嫌だと思う けれどもそーいう何か特異的な立場であっても、その前に“人間”として扱って欲しいのも事実である サポートが何もない それは一番不幸なことでも有る サポートというのは、手を出したり口を出したりといったことであるのかもしれないが、ただ現状では、もう無気力になってしまっている ほぼ死んでいるような電池を抜かれてしまっている時間も長くに及んでいるので、頭も回らない そんなような状況でさえある 気力があったときは、色々と探し果てて、聴きまわってといった行動も出来たが、もう今となっては、疲れ果ててしまっただけである 何かを起こそうという気力がなくなってしまってきた だんだんそーなってきてしまった どこへ行っても何をしても、無理解者との遭遇であったし、頭ごなしにすぐに説教が始まったりだけ・・・ なぜ、移民の国へとさすらおうとするのかだとか、そういった行動をしないではいられない 反抗するバカな体力があるくらいなら、全く違うことへ精神を傾けないではいられなくなってしまった ただそーいう風な雰囲気になってきた 流れモノの性質のような感じにも似た落ち着きのなさ・・・なのかもしれない まぁどこへ行こうが落ち着きのなさではピカイチかもしれない しかしながら、様々な人々との交流だとが、今の市民とはまるで違うのではないかっていうことだけはいえるのかな そんなこんなではありつつも、孤児の回想録に関する詳細は、残酷ならぬ‘残国’物語だといよう、何しろ夫婦のけんかなんてゆーのは、夫である継父なんかは午後10時を過ぎなければ帰宅はしないので、そんなに幼子の孤児はそれらDVの目撃は寧ろ、それほどでもなかったのであった がしかし、当時はその長兄の小姑が二人も同居していた その小姑は、継母の階段を上り下りする足音がうるさいだとか、すぐに赤子を泣かせてうるさいだとか、これまた継母に対する虐待さながらに突くのであった これらが経過を追うごとに激しくなり、今では「継母さんの子育てが間違っていたから、あの孤児ちゃんは、あんな風な境遇になった」といった事をそこら辺に吹聴させているといった始末であさえあった しかも継母本人の前で堂々と、それらの数多を述べてくれるのであった この無理解を思うと居た堪れなくなってしまう そして、幼児用強制収容所の方なんかでは、不気味な厚化粧とそれらの濃厚な硫黄のようなキツイ臭いをさせた保母こと、政府軍の養成させた幼児監視員は、孤児の方へばかり寄っていくまともな幼児に対する孤児への嫉妬心を募らせてもいた そんな中、孤児はその化粧臭をプンプンとさせた監視の目の尋問に遭う このような僅か4歳に達したばかりの子どもを監視員室に監禁させ、尚且つ「オマエが盗ったんだね、オマエしかヤルやつはいないんだよ」と、その孤児に対し、足首を掴み上げ、逆さまにさせ往復ビンタの嵐だ その化粧臭さを撒き散らすばばあが、その幼い孤児を放り投げたのだ その後、いのちが存在しているのかいないかの確認は急ぐではないに等しかったが、とりあえず画を描いて欲しいといった幼児には、もう、近寄らないでというより術はなかった そして、数日後化粧臭いゲリラばばぁ監視員は、その部下に「さがしてたモノが隣の引き出しで見つかった」といった事をほざかれてしまった 孤児の眼下は益々にして、緑内障の雰囲気に曇りつつあった あの逆さハリツケの計はいったい何だったのか・・・? 呪いの戦慄が過るのみでさえあった 震撼を通り越した経過報告の一端かのようでもあった 蓮華合掌