2009年05月20日
天使門生
国家が戦争を選択(o_ _)o なんかしてた頃の話というやつをつい先日、ジジに詳しく聴いてみたさ...((((ノ^^)ノ ジジはその当時、航空自衛隊員として空の御用を掌っていたという小刻みにナイフを用いて鉛のえんぴつが削れるとか、鉈で50年ほどの年輪の樹木を割れるとかが器用に出来ることは一つのステイタスではないのだろうか ナイフを使って人はアヤメるのは出来るが、えんぴつなんかは削ったことはないといった貧相な世代が引き起こす闇に一抹の嘆きにも似た戦慄を奏でられてしまう 米軍の某軍人に「お前は飛行機に乗ったことがあるか?」と聴かれ、「ない」と、その通りに答えると、「乗れ」といって、その軍人の二人乗りのヘリコプターもどきみたいな神風号のコックピットに搭乗したそうだ そのときに観た房総半島の黄色い菜の花の萌えるように鮮やかな色を上空から眺めたり、あの茨城の海岸あたりだとか、太平洋湾岸沿いをただ跳んで魅せてくれたようだ としか、話を聴かされている方には思えない話しぶりであった 航空自衛隊が、単に遊覧飛行をこの若い日本兵の若葉マークに対し、浪費のようにも思えることが決行させられていたようだ その後、古ぼけたアルバムをよく観てみたが、自衛隊のヘリの前で、かっこつけてる若かりしジジがそこにはいつも存在しているだけである あの戦争はいったいなんだったのであろうか・・・このようなにこチャンマークのような微笑からは、戦乱の混乱は想像しにくい風に感じる そして、子どもの頃の戦争の情報は、唯一このような微笑みの画が溢れていた それ以外の情報は伝わってはこなかった 飛行機やアメリカ人やあたりの風景は、戦争時代のようなニュアンスを醸し出しているのだが、夥しい人々の顔つきは、全員どーってことなく笑っていた しかし、先日浅草に行った際の碑には、空襲の恐怖が建立されてあって、新聞報道などの公のメディアでは、決して語られることはなかったというように どれを観ても残されていたのである そして、一番観たかった仏像はなかったというよりは、一般には公開されていないようだったし、現地人たるそこで、創業70年以上経過してただとかそーいった歴史のある食堂だとか店屋の人さえ、聴いて回ったが、悉く‘知らない’と云うばかりだった 意図的にしらないというものではない氣がしてくるのでもあった よく私も道に迷うので東京みたいに今日あった場所が明日はないといったスピードが要求されているような場所では、コンビニのバイトの人に道を聴くのは常だが、東京のコンビにでは、例え、お隣のビルだったりするところでさえ、「ここで働いているだけですので、この辺のことはわかりません」と難色を示されてしまうのだ そこへくると、田舎だと、もう地図まで出してくれて教えてくれるのである しかも勿論、そんな場所へは、自分では一度も行ったことなんかないような学生みたいな人が親切だ ただ中年の女の人は、都会と一緒で‘知らない’とあっさりと拒否られてしまう つまり、レジを打ったりする他の余計な労力には一切金輪際係わりたくないという意味のことを表明されているのである いわゆる、もうこれぞ‘むし化’傾向が強まっているとはいえないだろうか そんな傾向が覗えたりもするのである 国家が戦争を選択していた時代とはいったいどういった時代であったのものか 戦争はある意味では自然界でもあったのだろうか そして、それらは、行き過ぎた‘生活の為だけに’といった害虫駆除できなかった結果としての自然だったといっても過言ではない ただ断言するのは危険を帯びてもいる 駆除されたはずの害虫が悪魔よろぴく派生してくる過程というものは、必然的には嫌なニオイが関連しているのである 鼻がもがれてしまうような悪臭がしてくる場所でのリスクは、見逃せないのである 例えばこういったところに湧く分解者が健全に働いてくれると、悪臭などはほとんどない筈である にも係わらず分解者たる微生物らしきその存在の所在が不明か、亡命か、ほとんどがいないことになってしまった 消えたのだ このあたりが生態系を考える際の重要なポイントゲット方法でもあるといえる 循環が破壊されたといった壊滅説もあれば、食物連鎖のピラミッドが破壊されたといった説も疑いの余地はない 自分がまだ幼かった頃の方が、もっと多種多様なむしけらがいた ただいた それにあたりの山々も、子どもの頃観たよりも てんてんてんまりてんてまりといったようにマリで撞かれてしまった凹みが感じられてならない こいうおかしなことを以前から、色々な方々に表明して口にしているのだが、考えすぎだとか、たわけとか、頭がおかしいとか、入院しろとか、そーいうコメントをその他大勢の人々から絶賛されていた 有難い こんなにもそーいった評価を成されているその他大勢の群集のみなさま こーいった評価は私には、ただただ有難いことだとしか感じられては来なかった ところで、アカシヤの花のてんぷらの時期になった このアカシヤのてんぷらを打ち立ての蕎麦に投げ込んで食すのは、感慨深い アカシヤの花の蜜の甘みもあるので、わさびの辛さもビミョーに辛くってうまいよO(≧∇≦)O イエイ!! ぜひ、その辺から摘んでいって、明日なんかはアカシヤのてんぷらを食べてみてはいかがでしょう・・・? 歩いていって採ってくるくらいの距離にはあるように思われますが、あたりにはない場合は、河川沿いなどに行ってみますと、もう白い花が満開なのでわかります 恐らく誰のものでもないとは思いますが、誰かの敷地内の場合は、許可が必要かもしれません そーいう場合はご注意ください その他の場合は、特に無料で摘んでこれますので、貪らない程度に魚篭等に採ってくるといいでしょう 天候にも恵まれている今日は、そんなこんなを感じさせていただきながら、またイソイソと出かけていくのでした 蓮華合掌
Posted by このは なさくや at
19:37
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