2009年05月07日
10:0
じゃんけんって云っても、二人とか、少人数でのじゃんけんですけど、あいこで勝敗を決めないなら、そういう後のことはどーするんだっていうことが、皆さん思う関心事であるのは否めないのですが、例えば保険の外交員なんかをしている方々とかってお分かりですよね この保険がどう支払われているのかっていうのは、何かやっちゃって、お互いの相互での話し合いというか、縺れないルールがある 自動車社会ではありふれた当たり前のことですが、車体:車体 というのはわかりやすい、どっちにしろ、10:0というのは相当まれなことだと思われます 二人だけでじゃんけんをしていたのと一緒だと思います ですが、人間:車体とかってなりますと、急に変化しますよね 例えばバイクもそうなんですけど・・・ こういった割合が問題になるわけです ひきわけっていったって、様々なひきわけが存在しているわけでもあります 食べ物だったら、半分こぐらいってのはよくしてるんですよね、小さいころから、兄弟でどっちかが、多くなっても半分こは半分ことなる 私の経験上、何か近所の強そうな立場の人が、半分この場合には有利に働きます 半分こじゃなくって、そこに三人加わったとか、五人になっちゃっただとか、そういうので、うまく分けられるかどうか?ということですね 食べ物あたりだと、どうしても配給のような戦時中をイメージしがちです 他でもそーなんですけど、そこで、私には提案があって、結局はそこで暮らしているわけですので、配給だとかっていうんじゃなくて、一緒に作ればどーなのかなって事を感じさせて頂いてたわけです それっていうのは、例えばですが、鍋料理とか中華なんかも、こうやって回ってる台があって、順番に取って食べる こういうところからの発想です だから、造る過程に参加してみるということでしかない おにぎりだったら、もうそこにいるみんなで、総動員で一緒に作るっていうことです 炊き出しだっていって、炊き出しの人だけが、炊き出しをやるんじゃなくて、要は、‘観てるだけの人から一緒にやる人へ’といった意識変化が起こることなのかなって氣はしています それで、Youtubeなんかに そーいった映像をアップしました 私達はさもすると、どーもやらないし、大人はあんなヤツにはやれないとか、そーいったので爪弾きにする 手伝おうとしたら、モジモジしていて教える方が面倒だからって、子どもに御手伝いさせないっていうママと一緒 そーいうママはいつも自分でやった方が早いとかっていって、子どもには何もさせないし、「ごはんだよ」なんて呼ぶだけ これじゃ、子どもだってお手伝いなんか出来ないよね けど、今みたいにスピードを要求される世の中はそーいうのが習慣化されていて、子供達はジャマな存在に成り下がってしまってる 現に私自身そーやって感じてきたし、ただ後片付けだけは、やらされるし、掃除だけは、やれって言われる こう何か強制的な奴隷のような感じで掃除をやらされている 考えてみればね、何で掃除をまとめてやんなきゃならないほどに暮らしが混乱してたのか・・・?そーいった原因には問いかけなくって、そーいうのは、頭ごなしに ‘ない’ことにさせられちゃって、ただ汚してるから片付けるだけの発想 また汚れちゃう だからまた片付けさせられる また汚す この繰り返しばかりで、何ともその主原因であるそもそものなり染めなんかは無視の境地だ そーいう大人は、自分は完璧だって云っているし、変な格好してたり、奇声を発している人を観ると、あのひとはね、神様か獣だから近づくなって注意されてしまう 何が正しいとか悪いとかを論じるその前に こういった迷信めいた教育を受けさせられてきてしまった そんな氣がしてショーがない 蓮華合掌
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