2009年06月11日
ウェットランド①
やはり、何をするにしてもしないでいるにしても、それらに拘わらず“フェアプレーの精神”が重要に思われます そこで、多種多様な芯の通ったビジネス思考の社会人のためのスポーツクラブに入る、なければ作るというのはどうなのか・・・というものです 出来れば、スポーツクラブを在日外国人のパパにこそ、重要な氣がしてならない あまりにも“フェアプレーの精神”が抜け落ちてしまっているか、欠けている在日外国人らが横行し、犯罪に走ってしまうように手を染められてしまい兼ねない現状が、ただそこに存在してしまってもいる なんとかしなければ未来が開けないのも事実ですと云うよりも、同じような境遇に在る中でのアミーゴと言った仲間意識とか、チームワークだとかを学ぶというのは、その人生にとっても非常に意味のあることだと思われます そして、また私は、カナダにワープしているといった状況です 雲隠れをするには、非常に簡素な言い逃れかもしれません カナダに行って何をしているのかといえば、滝に打たれているだとか、森林のただその中にいて、アーミッシュの世界のような幻想的な暮らしをファームステイする 今の季節柄、様々な生きていくモノ達の何か素晴らしい響きに出会えるのでもある ヴァカンスのある暮らしといったものが、日本人の勤勉すぎる体質によって、築かれてきた 忍耐強く弱音を吐くなどといったことは、そのプライドが許さない程の価値に置かれてしまっている 社会勉強といったものは、一体何だったのだろうかと、時々考えさせられてしまうに至ることもある コレほどまでにもグローバル化が進んでいるにも係わらず、自他をも見ないといった 観えてないともとられる そんな異常さを感じさせられてしまっている 商用のためのチャイルドシートとしての浪費財という異常さが感じられてならない 先ずは、商品価値ありきに比重が置かれてしまっていてどーにもならなくなっている こども時代なんか、そんなのあっという間に過ぎていく 『じき、過ぎる』といった言葉の箍のようなもので括られる 誰も反論しないしさせない 死とは常に隣り合わせに在るといった現状 喉の奥がとても乾いているように 常に枯渇状態である それらはほんの一部なのかもしれないが、その一部としたものが、全部に豹変させてしまうに過ぎない 危険地帯とさせた証拠には、あのような神々しい観音像を銅で建立し、それらの周辺には、生まれてきても虐待で死に絶えたかもしれない水子像をきちんと置くということでもある しかしながらああいった湿地としたウェットランドを復元させることは事のほか、重要なシグナルでもある これらが達成させられなければ、われわれの果たす使命であった筈のミッションは、何もなかったことになり兼ねないので当事者サイドとしてはいたたまれない こーいったなかったこと体質が強制連行を帯びさせているから、猟奇的殺人の小説やら映画をもっと作れとか、書けだとかって云うのに憑依させられてもいるわけだ そして今は、少なからず何だか、もう描けない日が近づいてきそうなので、そうした意味を踏まえつつ、またまた一円にも一縁にもならないような事態が続いていく限りで、生命が朽ち果てそうでもある また背中が痛いのだが、どーすることもできない ただ痛みが遠のくのを待ちわびるだけである 何もない 罪深い地元の内地人が正気させてきた数々の忌まわしい蛮行と、野蛮さを極めた行動の元凶といったものは一体何だったのだろうか・・・?人々を思いやるといったヒマは微塵もなく、単なる売りさばくといった感覚での時間が流れてしまっている 高学歴でしかも、相応の身分が補償されたものほど、このような在る意味でのワル智慧に長けてもおられるのだろうか・・・などとも感じさせてもしまう 墓石が飛ぶように売れるような時代にあっては、これらが文化を煽動しているといっても過言ではなさそうである ただ大部分がそーいった呪縛に動いてしまっているのに それがどーだあーだというのは、手も足も出ない 今までもそうであった 何かの発言権といったものは、遮られるか、そうではなく、発言権の大きな人々の影に隠れてしまって何も観えないし聴こえなくなってしまった 税金を払っているのかいないのかといったものを重視される 本来税金で運営できなかったことをしていたのに税金の範疇を超えた活動に勤しんでいた過去からの行動が、全くもって水の泡に化されてしまった 自己負担と自己責任と自己都合といったようなもので全てを任されているだけである 公共は公共であっても、何らの機能も果たせない単なる使えないサーヴィスを相変わらずやってるだけの進歩もない最悪な事業といっても過言ではない しかも冷淡なという態度までもおまけで付いてしまうような公共事業である これらはやはり至って、日本人やこの周辺のアジアの人々の個人的な問題ではないような気がしてならない 居場所を与えられていない与えられてこなかった まるで焼き討ちに野賜っているような仕組みでもある 起こるべくして起きてしまった合理化といった中での罠のようなものかもしれない なぜ人は貪ってしまうに至るのだろうか? 何も仏教を強制する訳ではないにしても、こうした展開に関して考察をしてみたいので行を変えてみます
釈尊と当時の思想化との対比なるものによれば、五見の否定の項には、‘見’即ち誤った見解としての独断論の意味だという その中でも、‘邪見’について、邪見とは広い意味での誤った見解のことであって、五見のすべてを指し示している 五見の一つとしての邪見は狭義のものである それは十事の邪見と見做されるものであって、十事とは次を云う
・布施なし
・献供なし
・祭祀なし
・善悪の諸業の報果なし
・此世なし
・他世なし
・母なし
・父なし
・化身有情なし
・世間には正しく生活し、正しく修行し、此世他世を自ら通達証悟して、これを世人に宣説するシャモン・バラモンあることなし
以上である これらは、善も悪もなく、善悪の報果もなく、三世因果もなく、修道も証果もないとさせるのであって、やがて、仏・法・僧の三宝をも否定たらしめ、四諦や十二縁起の教えまでをも否定たらしめるのであるという これら邪見とは、現象の動きや実践修道に対する最も誤った見解をとるものであって、邪見がある限りは、他ならぬ“仏教の教え”事態に入ることは決して出来ないのであるともいう 上記の五見も然ることながら、やはりこういった見解における人定めのようなものが発生してもしまうかのようでもある 今月はコームインの皆様方のBonusの時期でもあり、ラテン語ではその昔から“ヨイ”ならぬ酔いらしい・・・? そして、カイシャやホケンカイシャの特別配当金の類でもある 現場不在証明は明確に発行できるか否かが最大のポイントでもありリスクにもなりそうである それにしても今日の日中は、暑かった 家の中がムシムシと噎せ返っていた 今朝方の雨音が嘘のように晴れ晴れとした季節になった 蓮華合掌
釈尊と当時の思想化との対比なるものによれば、五見の否定の項には、‘見’即ち誤った見解としての独断論の意味だという その中でも、‘邪見’について、邪見とは広い意味での誤った見解のことであって、五見のすべてを指し示している 五見の一つとしての邪見は狭義のものである それは十事の邪見と見做されるものであって、十事とは次を云う
・布施なし
・献供なし
・祭祀なし
・善悪の諸業の報果なし
・此世なし
・他世なし
・母なし
・父なし
・化身有情なし
・世間には正しく生活し、正しく修行し、此世他世を自ら通達証悟して、これを世人に宣説するシャモン・バラモンあることなし
以上である これらは、善も悪もなく、善悪の報果もなく、三世因果もなく、修道も証果もないとさせるのであって、やがて、仏・法・僧の三宝をも否定たらしめ、四諦や十二縁起の教えまでをも否定たらしめるのであるという これら邪見とは、現象の動きや実践修道に対する最も誤った見解をとるものであって、邪見がある限りは、他ならぬ“仏教の教え”事態に入ることは決して出来ないのであるともいう 上記の五見も然ることながら、やはりこういった見解における人定めのようなものが発生してもしまうかのようでもある 今月はコームインの皆様方のBonusの時期でもあり、ラテン語ではその昔から“ヨイ”ならぬ酔いらしい・・・? そして、カイシャやホケンカイシャの特別配当金の類でもある 現場不在証明は明確に発行できるか否かが最大のポイントでもありリスクにもなりそうである それにしても今日の日中は、暑かった 家の中がムシムシと噎せ返っていた 今朝方の雨音が嘘のように晴れ晴れとした季節になった 蓮華合掌
2009年06月11日
自動車優先社会は続く…
実に痛ましい交通事故だ あの道路は当方もよく利用させて頂いていますが、危険極まりのない追い越しが頻繁なのには、閉口しておりました それにしましても、お亡くなりになられてしまったいのちにご冥福をお祈りさせていただきます 兎に角、ちょとした隙を狙って追い越しをかけるといった調子です しかも、その多くが現地のナンバーの車であるのも見逃せません 私は、わざとらしく、追い越していけと云わんばかりに路肩側に幅寄せして、減速し、追い越して逝ってもらうことがしばしばでした 少しでも早くといった考え方の行き過ぎもあったのかもしれません がしかし、赤ちゃんが乗車していたということ、その母親がドライバーだったということに着眼させていただけば、こういった子育ての時期と、高齢の両親との行き来ですとか、他人事には思えません たまたま遭ったという事故であるかもしれませんが、そうではなく、いつこうした事故に巻き込まれるのか想定できないという現状なのだと実感します どーいった理由にせよ、生後間もないような赤ちゃんがおられる家庭の御母さんが、運転の舵を取らなければならないといった厳し過ぎる現実を突き付けられてはいないでしょうか 私にはよくわかります こーいったさめざめとした現実が横たわり続けているのです 生後間もなくなくても、生後一年以内とかの母体が未だ回復の兆しが癒えないような所謂産後の肥立ちのような時期に ドライバーをかって出なければならない しかも、本人は若いとか、別に何ともないとか、無自覚であるがために 尚更のこと、周囲もそれに甘んじてしまう 内心では大丈夫ではないのではないかとか、そーいった頭は持ちながら、若さに任せてしまう ‘なんとかなるさ’ そーいった迷信めいた自治が出来上がってしまっている 対向車線の仕事帰りのトラックも、過信が多い、今なら追い越したって大丈夫だ、一刻も早く帰りたいとか、人為的なその顛末を感じてもしまう ほんの少しだけでも注意を払っていたら、だとか、普段の心がけがどーであったかだとか… 考え出せばきりがないのかもしれない 現実的には、もう刻一刻と時は、刻まれて逝ってしまうだけである 普段から、あそこは危なそうだなっというのは、みんながみんな感じてはいたけど、何もないからまぁっいいっかといったことで済まされていた 何もなくてうまくいっている時だからこそ、そこでの状況をよく観察し、それらをある一定の基準等によって、評価させなければならないと、強く感じさせていただいた 昨日は、そういった面でもあったが、“ファームステイ”の企画をする上での送迎などに使用する件で、◎◎◎社の営業担当の方と、話をさせていただいた それが、色々と話していくうちに パパのバスケットチームを作ろうだとか、パパ同士のサークル的なかかわりが、この辺には欠けてるよねっていうのがあって、ママさんたちばっか、ママさんバレーやってて、パパは、仲間もいなくて孤独で子育てについて悩んでるっていうやつに 何かフェアではない氣がしていた もっと、パパが仕事上でも大事なフェアなビジネスをしていく上でも、こーいった社会人バスケチームで、本当のチームワークを学ぶ機会とするのは有効だ メタボ気味の身体にも過激ではない多少のウォーミングアップは必要でもある 時間なんかは作ろうと思えば作れるだろうし、こういった仕組みになっていくことで、少しずつ少しずつ地域が動いていくのかもしれない そんな中で、例えば、赤ちゃんのある家族だとか、身体が思うようにならない方々だとか、目が観えないだとか言った そーいった様々な自己の不都合を極めた方々にも何らかの懸け橋になれればといったモノも大きい 今までは、自分に都合の悪いことというのが、達成するということが、ある種のわがままであり、自己中心的だといった慣習的な因習がまかり通ってきてしまったともいえる 個人的な不都合を みんなの不都合として考えてみてもいいのではなかろうかというものである 個人的な都合も、不都合も、ブレストしていくことであって、それらの充足できてないところで、われわれの何らかの温かさを差し伸べるということかもしれない 本来ならばできるだけ、近所であれば、距離的な時差があまりないので、構築は比較的、スムーズかもしれない しかしながら、地球の裏側から表側へとか、太陽系から銀河系の外へといった破天荒なこともあるのかもしれない それほどまでに願いの類というものは、幅広く奥深くあってないようなものかもしれない 先日、キウイの花が満開だったのをよくよく観ていたら、蜘蛛が花虻を捕えていて、その成分を吸い尽くしていたのを観て震撼とした アブの腹がペシャンコになってしまっていた キウイの大きな花のめしべやおしべのその中で起きたジェノサイドであった 凄まじい光景だった 花の蜜に肖ろうとやってきた来訪者に突如として、餌食と化されてしまった そのすぐ横の花では、こがねむしがおしべから噴出された粉様の花粉をかき集めながら、ほおばっていたりもしていた 今朝は今朝で、図鑑には掲載されてない木の実が、庭に大量に実をつけ、熟したのを採取し、紫蘇ジュースのような作り方で、酢で発酵させるといったような“木の実酒”を作ってみた この木の実はブルーベリーより赤く甘くて種子がなく、扱いやすい 学名がわからないが、5年ほど前に烏川渓谷緑地のイベントがあった時に頂いてきた樹である あれから、うちのジジの軽トラに追突されるなどの紆余曲折を経ながらも、即時の応急処置によって、みるみる枝ぶりは蘇生し、大きく成長した 毎年のようにこの時期、たわわに実をならせる いつも何気なくしていたが、近年アブラムシや、カイガラムシっぽいような虫が実についているのが確認されている 毎年のことではるが、まだ幼そうな緑色のカメムシもタカっている 漢方ではこのカメムシを生で飲み込むと何らかの強壮剤としての効能も謳ってあった(  ̄O ̄) 実の先端に隠れていたりもしていた ただなぜか、鳥がこの実の恩恵に与っているのを目にしたことはない 不思議である 蓮華合掌
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