2009年06月03日
なめくじ
今朝も庭でイチゴ狩りをしていたら、小さな生まれたばかりのようななめくじが一匹、イチゴの肉厚な果肉にタカって腹いっぱいに与っていた 直径0.5mmほどの幼子のナメクジの辺りには親らしきその母さんの御姿はなかった 指と指の指紋間でこすってしまえば、あっという瞬間にあちらへ移動しそうなほどに弱々しくもあったが、なかなかその動きは俊足を極めていたので、じっと見物に興じていたりした ナメクジの触角であったりあの突き出した角のような四つの微笑ましい伸縮自在棒は、葉っぱなどにほんのちょっぴりだけでも接触しただけでも、瞬時に縮んでしまう なぜか、これがどーしたって、‘ちほう’なんかとのやりとりに麻薬の様に観えてくる ‘ちほう’の最も恐れるそのオゾマシイ障がい物が良心を備え持つわれわれ如き存在でもある 何しろ‘ちほう’がどでかい報酬である‘ゲル’を得たがっているから、ワイロでも非合法でもなんでもやれっていうので、ずっと難無くクリアしてきた今だからでもある こんなことが赦されてきた というより、できちゃった婚みたいでもある つべこべといった形式や慣習やらの思想を取っ払い、ただ残骸として残った普遍性とした妊娠のようなものだ ‘ちほう’はナメクジになってはいまいか?なめくじだけに舐められてはたまらんといった無理な抵抗を繰り返してはいないのか?果ては、公権力の行使をそのヌルリとした不気味な粘膜で、われわれのような良心を持った人間と対等にさせる氣なのか われわれは、ゲルで御悩みの方々への幾許かの教育は無数のうちの手段を提示してみるが、ゲルそのものをやるということはない 汚いゲルで血塗られたリンチ集団を横目で観つつ、もしこのままならば、何もできないままで、ナメクジの駆除を遂行しなければならなくなった ナメクジをビールや日本酒で誘って、その夥しい酒で表面張力を興すほどいっぱいになった樽で溺れるといったシナリオなのでもある 昔からこういった‘酒で溺れさせ作戦’みたいなものは、非常に有効でもあった それらのシキタリじみた呪いにも似た洗礼を捧ぐ 神聖で芸術的すぎる 溺れる者は藁を掴んでくるだろう きっと藁しべ長者を目指すためにも…そして、それらの多くの公権力を司る人々はあれらの石の中に刻まれて逝く 永久にこの公権力が行使されたといった無意味な行為や行動を子々孫までにも伝えるために… ときどき、訳が分からなくなるときも大いにありすぎる 悠久なんたらとかこーしたとかといった巨大な碑がポツンとある あまり眼下には入ってはこないが、なぜかあるしかも道路といった主要な現場には必ずある こういった巨額なベネフィットとも成りかねない財産をわれわれは、どう検証すればいいのであろうか それをずっと繰り返して、感情的な行為にはならずに行動を変えられるのだろうか それが極めて問答の過でもある氣がしてならない 〝ヒューマンフォーミュラ〟がそこら辺をのんきそうに歩いているのであるが、まったくもって別の内容のことで、歩いていたわけであったが、余計なものを拾ってきてしまう羽目になる それを話題に乗せない方が得策ではあるものの こびり付いた青さびのような不気味すぎた異界からのメッセージが夥しく流れてくるのである やけに掃除が大変だなって感じたら、やっぱそーだったというものかもしれない ナメクジ連中の動いた形跡は、唾を吐いたかのような絹の道のあの輝きをも帯びている あの歩んだ形跡をキミも観たまえ! どこでどーしていたのかは一目で分かってしまう どんな感情でどんな行動をし、何を学習していたのかといったナメクジの生きたアカシとでもいう、その読んでいた本の数々 われわれはそーいったナメクジの行動に何を学び、どういった反射神経で交わすのか、今後そーいった‘角出せ槍出せ頭出せ’に試されるものかもしれない こーしたちほう的なアフォー的な自治が続いてしまう限り、、、脳の中身は空っぽでしかない スカスカだった 御釜の様な検査機の中でじっとしなくても、もう ただあのような精巧な御釜に入る必要を自ら招致させたのであるから、碑を建立し、塔をいっぱい建立させたのだから、、、在り難いほんとうに在り難く思われてなりません ナメクジなんかは、何も聴いてないし何も聴こえてはいないし、もう初めっから聴く気もない そーいった構造だからとしか言えない 何らかの製造物の一種としてのわれら 蓮華合掌