2009年06月15日
とっととずらかるのみ
何はともあれ、とっととずらかるのみを考えて生きているようなものかもしれないだけになった もう末期症状が見え隠れしているのだけれど、誰からも気付かれずに普段と変わりなく過ごせてしまっているのだ ただ、もう腰が痛くてたまらん 激痛というか刺すような言い知れぬ痛みに苛まれてしまっている 頭がグルグルと回ってしまっているようだ 特に左目が翳んでしまっていてどーにもならんばい そりゃ、辛いというのはみんな平等に辛いのかもしれないけど、そういった辛さをどーやったら凌げるかだとか、どーやったらお金をかけずに何とかできるのだろうかっていうのが、まるっきり逆転の法則をしているに過ぎないのではないのだろうか・・・? ここで、イスラエルの民話に“人に悪いことをしなければ自分にも悪いことはされない”といった民話がある その話は、スザの都の底抜けな正直者がただ道を歩いていくという設定でもある 私もこーいった稀有な場面に遭遇してしまうことが屡であった この底抜けの正直モノは、ただこの先に何が起こるのかという実験というか、社会的な立証を明らかにさせていくものらしく感じられた この雇い主のように まるで他人事のように ただ保釈金集めに歩かされるという身の上は、本当に今の今までの私とどこが違うのかという気持ちにもなったりした いったい何のための見世物なのだろうか 自分のいのちと、引き換えに国家権力への金銭収集の協力を要請させられているような現状なのである そして、そのときが刻一刻と迫ってきた ここまでストーリーが展開されると、もう憤懣やるかたないといった状況でもある 先日、一人の老婆が歩いていた ただ道を歩いていたのではあるが、その格好といったら、まるで野麦峠を越えてきたかのような重装備の上に絣のモンペ姿風であった 驚嘆した 以前にも新宿を歩いていたら、学生帽を被った袴姿の背が2メートルくらいもありそうな男性が黒いマントのようなのを着てウロツイテイタ 新種の被り物くんの類なのかなと目を疑った その他大勢の群集には、このような人物すら観えてないようであった 私が錯覚を観、幻想の世界に放り込まれてしまっているのだろうか・・・? それとも、近代と古代が同時に観えてしまっているのだろうか・・・?いやはや、どーにも説明がつかないし、説明のつけようがない場面に遭遇してしまっている ミステリアスである がしかし、現実的にはそーなっている 今度こそは、直に何をアポーツさせようと、ここに存在するのかといった内容をお聴きさせて頂かなければならない使命感に苛まれてもいる 不思議な国である 以前にも、そうとう前であるが、確かにこの空間を一艘の船に乗った直立不動の女性が、私の元に現れた 狐のような顔色だったが、色白の髪が不気味なほど長い邪馬台国以前からの使者のように思えた その後、私はミヒャエルエンデ氏のアトリエに訪問することになった そのときにも、神秘的な光景が広がっていた 樹木の葉の上には ピョコンと妖精が顔を出していた ただこんな事はあるはずがないだとか、目が何かに反応してるだけかなっていう感じで、忘却していた そして、驚くべきことに 殺人事件を犯した犯人が突如として現れるといったスチュエーションである 最後のセリフであるおかげさまで、諺はほんとうのことであったという立証をした正直者は、自分で能面のような演技で集めた金銭も、更に真犯人からの大金までをも手にしたといった展開である 奇蹟のようなストーリーでもある ある意味、こんなことは滅多にない だから、奇蹟なのであって、人々にも周知されるのかもしれない ただ、念頭にあるのは、底抜けにも正直を通すといった良心の持ち主の人格だとか、精神的な奥の深さだとか、特に殺されるかどうかも、神のみぞ知るといった、ほとんどを天に任せ委ねた結果なのかもしれない こーして考察に咽び泣くのではないにしても、何処かではそーいった、正義と悪辣だとか、善悪の中の心のあり方だとか、その場合は、ともかくその人間が問われているのである 最後にはワル智慧やサル智慧は、何の報酬にも因果にも成り得ない そんなものが公式なのだから仕方ないと感じさせて頂く 自分さえ助かればいいとか、自分だけに都合がいい手法を編み出すに過ぎない合理化の行き過ぎに警鐘を鳴らせるのは、唯一のところ、昨今までの経験値であるのかもしれない 再びにして、人々は大罪を犯してしまう それは、自分だけの今だけの快楽を貪るといった思考の賜物だとはいえないだろうか そして、忘れた頃にやってくる、その悪霊の調べなのかもしれない しかしながら、そこに先程のイスラエルの民話から学ぶというのであるならば、‘人殺しをもう一つ背負い込むのはこりごりです’といった良心に他ならない そういう哲学にでも才覚された暁には、正しい精神が報われる社会が拡散されていくのである そんなこんなを思わせて頂いた 今ここに存在してしまう過去からの意味はいったい何なのだろうかと・・・それらは、束になってやってくる 未来はないか、遇っても自分ではどーすることもできないのか そんなもんだろうか・・・、そして、この今は続き続けてしまうに過ぎない 今の連続性と、今の精神性の連帯とした悲劇的な声にならない声のようなものなのかもしれない 勇気を出そう! ただこれらは、一部の人間の驕りかもかもしれない 実は最も声に出来ないし、ならない人間の救いを根絶やしにさせてしまうに至った 肉体がジャマをするさせるといった観点も見逃せないのかもしれない 観えるところで抑圧的に働いてしまってるだけで、観えない観えてこない部分には蓋をさせられているのみである 腰はなぜこーも激痛に苛まれているのか・・・を考えさせて頂くと、社会の歪みを感じずにはいられなくなってしまうに過ぎない ボロボロにならされた人と人の間である感情と行動のバランスの崩壊さながらとさえいえる そのタメの倫理観だとか宗教だとかではないのだろうか、これを主張だけしていたって始まらないのでは有るが・・・だ 実のところは、何が善であり、悪であるかの判断すら何も出来ない、お任せの状態に陥ってしまっている お任せの医療がその好例でもある事案だ お医者サマサマといった宗教感覚での神化させられた医師群 自分の生活習慣にその矛先が有ったのに 何の反省の色さえも感じない人々 自分自身の中に存在している秘めたるパワーを見縊る人々の増大は、本邦の選りすぐりの原理原則といっても過言ではなさそうだ 他人に任せるといったご都合主義が旋風を撒き散らかしてしまうだけでもある 悲劇的、精神性の欠如、良心を問わない、これらを放置し続ける地方自治なのではないか 温度差があり過ぎて、人間が入れ替わったとしてさえも、全くの所、同じ感情支配下の行動をしてしまうのみだけで、知る人ぞ知るといった瞑想的世界に放り込まれても居る そんな今でも有り、事態は急変するだとかは、有り得なくもなってしまっている 蓮華合掌
Posted by このは なさくや at 21:52│Comments(0)
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