2009年05月18日
むし
昨日までの暴風雨も止んで今朝はカラッとした良い天候に恵まれてている 昆虫たちの慌ただしい生活雑記を観るにつけ面白おかしくもなる どこからこんなにも大量に涌き出てくるのかと思うくらいの虫たちがごまんといる 蜘蛛以外は、ほとんど羽根を持ち自由に辺りを飛びまわれるので、人間にはこのような芸当が望めないのだから昆虫様なにに羽根を持たされないで、その虫の子宮から生まれてきてしまったのか こうして観ていると、激しく動き回るのは‘ほぼ生活のためだけに’といった或る意味それが‘目的化’されるに至ってもいる昆虫活動である こんな朝っぱらから、昆虫を眺めて喜んでいられるのは私くらいのもんだろうが、それらがどーにもこーにも人間の生態に似通っていることに氣付かされてしまうのである 「あーこれって、小学校時代の校長に似てるな」だとか、近所の特徴のある灰汁の強さを醸し出しているおばはんだとか、そーいった一種の擬人化されたおかしみでもある 昔カマキリ顔の人間にストーカーちっくにされてカマキリを観ると違和感を感じているあるプチ整形した女の子だとか、自然界を観ているだけでオドロしくもなってしまったりする まだこの春、カマキリには遭遇してないんだけど、みんな花には眼を奪われるけど、この虫たちの活動には、むしだけに無視されているようだ それとも無私になっているのだろうか 私は確かに‘●▼■むし’と付く生き物が嫌いだった 出来れば避けたいと念じてもいた どーも頭とか目玉だとかの周辺に眼の上のたんこぶ的にうろつく虫がいっぱいいて、私の視界を塞ぐのである こーいった体験はアウトドアをライフワークにしておられる方々は頻繁に遭遇すると思われるんですが、もうこりゃーハンパじゃない ( -ω-)ノ-=≡≡≡ 白眼に飛び込まれて眼の中を掻き回された暁には、ゴロゴロ感がひどくなって、まさか、こいつら地下鉄に一気に飛び込むのと勘違いしてんじゃないのかって、疑念の流布がする どーもこうした思いに縛られてしまう きっとこのような感覚を感じてしまうには、やっぱ、どーもこの眼といった洞窟のような中に一心腐乱のような勢いをつけてわざわざ飛び込むなんていうのは、虫けらといった無自覚さしかないのである なので、飛び込もうとしている人間には、あなたは、虫ではない(( ^_^)^^ ) というのを標語のように伝えなければならないのではないだろうか 今まさに躊躇なく飛び込んだり、飛び降りたりをしそーな人間に伝えよう!「キミは、虫ではなく、人間だ!」といってただそれのみを自覚してもらおう それでなければ、自分も他人もみんな虫として認知しているうちは、どーにもこーにもその呪いからは醒めないのではないか 迷信というものは恐ろしいものである それか、虫ではないと思ってはいるもののその他の動植物だとか、最も在る決まった場所で動けなくなってしまっている樹齢何百年の巨木だというのを思いこんでしまっている可能性もある 人間なのに、自分は実は人間じゃなくって、虫けらだったとか、爬虫類だったとか、もうとっくに死んでいた( ̄- ̄)だとか、そーいうイメージを覆していくといいのかもしれない 自然界を観るっていったって、何をどうしろっていうこともできなければ、こーやって観るんだなんていって、強制的に連れまわすわけにもいかない なんで夜な夜なシャシャリ出るような活動をするのかっていえば、やっぱ夜だけ活動してるようなのはね、ドブネズミみたいなやつらとか、コウモリ野郎だとか、擬人化の名を借りれば、自分はもうそーいった存在になり下がってますっていうのを自覚しているにすぎないよね 夜の蝶とかってオシャレな感じもしてるんだけど、こんなのは燐粉をまき散らす‘ドク蛾’系で不気味な蛾のことじゃん 自然の蝶なんか、だいたい夜なんか活動してないし そんなもんですね 里山を守ろうって現代の人間が唸っていたって、その昔一世を風靡した鉈だとか、鋸だとかの道具を使える樵を養成するんならいいけど、なんか損益計算が発生してしまうような金銭価値の比重がでかいものは、もうそこで、間違いだって感じてしまう ただそれは、時代に逆行というのを反逆されてしまうんだけど、そんなんで、ボランティアが無償っていう話とは関係ないんですがね ボランティアなんか無償に決まってる お金なんかとれるわけないんだ だけど、そーいうのを学んでいない連中がごまんといる ボランティアっていうのは、お互いさまの尊い精神であるし、無償の愛そのものなんだから、お金をとりたいんならビジネスにしないとね どーしてこんな単純な意味が理解できなくて喧嘩になってるんだろう 喧嘩とか争いって、結局は‘貪り’ですね どーしてもそーなんだから仕方ない ‘貪ってしまう’ので、本人にはその氣はなく無意識かもしれないけど、「こんなに金がかかった」どーのこーのって文句を論う わかんないから 教育されてこなかった その御父さんだとかお母さんも誰も教えてくれなかった もう貪るだけ貪れっていうシステムが動いてしまっている 現実社会がそーなって、一層慌ただしくさせている 自分だってその渦中に巻き添えになって飲み込まれている 今まさに飲み込まれていて、「何もやらないクセに」だとか、「結果を出してない」だとかって叱咤されつつ激励もされてしまう なんだか不自然な感覚だし、そういって説教している人間が、実は一番怪しかったりする 独学でなんかやったとか、なんか独りだけでやってきたとかって意気がってるのは、貪りの何物でもないよね かといって、張本人ってのは氣がついてない(  ̄O ̄) 無意識の境地なのかもしれない(  ̄O ̄) 私のような外部から観ているといった感覚を持ったらそーいった感覚には陥らずに済むのかもしれないのかな 最近なんだけどね、こんなことを感じてしまうようぬいなってきたのも ただ今日は、すごくオモシロい方を紹介されたので、楽しみにしてる、それじゃごきげんよう(v^-^v)
Posted by このは なさくや at 11:10│Comments(0)