2009年05月14日
L D
幼いカラスが事故に巻き込まれ、その被写体が平らになってしまった あまりにもギャーギャーと泣きわめく親からす達の深刻な叫びに動揺を隠せずにいた それらは、あのLethal doseが関連しているとしか思われない ペシャンコにお陀仏化された幼いカラスは、毒性に脳が身体がマヒしていたのだろうと…思われてならない でなければなぜ、あんな軽トラの下でウロウロとしているなんていうすばしっこいトリの芸当ではなかろうに 親ガラスは、その最後を信じたくなくて、ギャーギャーと鳴き喚き散し、正気の沙汰ではなかった 凄まじい勢いで、ひき殺したジジめがけて、飛びかかってきそうな感触すらあった もうあの幼いカラスは、この世にはいない カラスが死んだら四次元の世界に逝くらしいから、カラスの遺体は観たことがないんだよって、何かのセミナーで言ってたけど、河原に叩きつけられてフワフワとした幼い毛で覆われ、仰向けで口から、首から流血を観た 目玉に至っては潰されてその外枠が確認できるのみになってしまった 誰もいなくなってから弔いの準備と悼みの線香に火を燈した “幼くして逝ったカラスよ、どうか恨まないでおくれ この全体主義が齎したこの画一化された収益重視の日本での教育の劣悪なる質だった 幼いカラスには何ら関係のなかったことであり、ほんとうに切なく、かけがえのない子供を失った親がらすよ、どうか仕返しをするとは考えないでください、ほんとうにお悔やみ申し上げます” 悔やんでも悔やんでも悔やみきれぬ現実を受け入れ、‘赦し’とはいったい何であるのか? 何がいったい‘赦し’なのであるのか…見極めたく感じさせて頂く 私自身の御身で恐縮ではあるのだが、やはり歯を折られたなどというのは間違っても氣がつかなかった記憶でさえあり、あの終★処★場でのジェノサイドとの因果関係を問われることは先ずなかったし、誰一人としてこの真相究明には加担したくなかったのである ですから、国際法にての然るべき対応を加味しつつ、準備をしなければならないのでもある 真実はどこにあったのだろうか…? いつまでも野晒のままにしておくことは、今後のかけがえのない見ず知らずの生贄を遍く増加させてしまうに過ぎず、誰かが強い意志を持ちたい これだけを今は語ろう そして、真相が明らかにされつつある時に どんなにか不屈のその中におられる友なき友の声なき声がゾロゾロと噴出してくるか あまりにも残酷過ぎた そして、あまりにも長きに亘ってしまった これからだってもっと長い時間を弔いに費やすことにもなる だから、精神の深みのみで活動をしていくよりほかには何もない あるがままといった意味は、現行の体制に付き従うだけといったことになりがちである というよりも、そうであった これが自然の流れというような本邦のさびしい捉え方の顛末だ 中国的思考では、老子ならびに荘子が聖人として、経世の変革を促した 陸続きではないがゆえに集団やまとまりやその中での‘竹槍で一突きだっ’といったあまりにも直ぐに結果を出させようとする野蛮な国民性が教育の賜物として浮き彫りになっていないか まだどこかの国家と陸続きであった方がまだ学ぶことが多かったのかもしれないが、そーいったことはタブー視され、また現行の体制に順応させるのみを推し進めていたのみにすぎない 結果的には、あるがままの状況に単に身を任せただけの日本人特有の自然観がそもそもそういったものであったのだ 出典:人生と仏教 伝統の再発見より 蓮華合掌
Posted by このは なさくや at 10:22│Comments(0)
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