Capriccis
近頃では、カブリオレなんていう自動車の名は聞かなくなった それにしてもそーとーな気まぐれの気質を備えていなければならなくなった まさにヤギのようなものである どーにも喉の奥に何かが蹴躓いてしまっている すぐに鉄を銅をなでたりしてるだけではあるが、まともなモノは何もないのかっ・・・?なんていうのを考えてみたりもします 昨晩の豪雨は激しかったし、その雨が叩きのめすタキロンの音に反応して、何かが念力を携帯の呼び出し音の閃光にも似た点いたり消えたりをさせている “ここに届いてます、ありがとう”、ダイジョーブというのをきちんとこういった暗号のようなので伝えます 本当に凄まじい雨だった ゲリラ豪雨は急にやってきた そして、其処ここに何らかの魂を宿らせていく カラスといった霊長類は敏感である 何者かの生まれ変わりでもあるからだ それに比して、また●▼■課のXXX課長と話をしなければならなかったが、XXX課長の半径1mに近づいただけで、サッシの戸から漏れてくる濃硫酸みたいなドブでミミズを採っていた頃に戻らされるので、こちら側としては、ひとたまりもあったものではなかった 課長も誰か家族と同居されているらしいが、その胃が酷く悪いような口内を決して開かないよう、文面での会話を要求したいほどであった あからさまにも、その課題点を指摘するこども面が出てしまったら最後、もう二度とはこの課そのものへ、足を運ばずに済むモノを・・・またトホホ感に苛まれてもいた、ですので、行を変えてみます
そもそも"バイオテクノロジー"と云うやつは、環境浄化目的の主語だったのではないのか、、、そこで、この主語を持ったというか、青銅器時代にでも移行すべく定められた我ラボでは、いかにして、間一髪的重篤な状況に瀕した人類へも平等に快適なそのひとらしい、らしさの保てる場が必要であると考えるのである それは、ありもしないおとぎの国をないから創ろうって言っているのではないにしても、ジェノサイドのような状況が歴史的にも再現させられてしまうのを何とかしてどーにか食い止めたい所の人情でもある 故開高さんのパニックではないけど、その120年ごとにきっちりとやってくるねずみ集団の集団自決みたいなものかもしれないし、それら石器時代の終末にも似た石全滅時代への警鐘はいくらでも鳴らされているのであって、且つその警鐘を個人的にも、そして、国際的にもどういった手立てを駆使していけるか、、、本来の個人的な漠然とされた事象さながら、孤児の出生秘話に遡るのでもあった 今は亡き祖母に聴いた過去によれば、その孤児は、あの木の橋の袂にコタツの下掛けのようなパッチワークさながらの古ボロ布にくるまれて落っこちていたのだそーだ なぜっ?それに祖母は氣がついたのか…と云えば、当時流木を風呂の焚付けに使用するため、橋の近辺をうろつき回り、流木をかき集める日課なのであって、特にそのに湯気のたった赤ん坊がただそこに置いて在ったとしただけのことだった 祖母はまだ子のない、がしかしながら、仏教信仰には篤い長兄の子孫繁栄のためにも、その赤子を拾ってきしまうに至ったのである その日は、奇しくも反戦記念日の翌日でもあり、そんな世界反戦デーであったなんて言うことについては、母子家庭の祖母にとっては、特に世界反戦デーも何もあったものではなかったのかもしれない ただその哀れ過ぎた赤子を人道というナニモノでもなく拾い上げてきただけであった 一度は、生活苦を案じ、見過ごそうとしたとも云う その後、、、この孤児が二歳を過ぎたころだろうか、、、いつも、大抵その孤児は暗闇にいた、というよりも真っ暗闇のただ中に蓋をされ埋もれていた 継母の背におんぶさせられ、怪しげな月はコッチを観ているといった感覚であったし、凍て付いたその頬や、足の感覚やらで、脳性麻痺さながらが起こってもいたのであった 宗教精神、特に仏教観念に忠実なこの見合いをさせられた夫婦の男と女の間とは、常にけんかが絶え間なく遭った それら、二人の間の個人的に起因する激しく醜く他を犠牲にさせた‘けんか’に相応する分類なのであったのかもしれない しかし、子ども、いや赤ん坊に与えられた衝撃というやつは、図りしれないダメージ、しかも取り返しがつかないといったおまけまでがついてしまった 所謂戦争状態だった 引き取られた間際から、夫婦間の戦争に何か加担させられてしまっていたのでもあった その赤子は、何らかの洗礼を受けたのでもないので、祖母や継父母の支持した仏教を祖とした宗教に収まるしか、目下のところ、成す術はなかったし、選択肢はないし、‘三代目さん’などと言ったどこぞの襲名を匂わせるような呼ばわれかたをされもした 仏教精神がその終日を覆う一家の日常がそこには、ただあった 継母は、朝夕のご供養といったものは決して欠かさない 勿論、祖母も右へ倣えであった 調子っぱずれのお経の唱がただ常に聴こえてくる環境なのである 必然的に何かに執り付かれてでもされてしまったかのように それらのお経は暗礁されもした こーした善き習慣化というものが、どんな影響力を持つか、この孤児が立証させてしまう 若夫婦は、相変わらずモノの投げあいや、言い争いを続けても居た 幼い孤児にとっては、戦時中のナニモノでもなかった たとえそれが、国家体制の犯した罪ではないにしても、、、危険地帯を逃れるには、いつも主を早く亡くした祖母と一緒のことがその時間の多くを占めていた 継父母と過ごした時間といったものは、ほぼない 何も思いも出せない ただ継父は、その女の子が庭で掃除をする風な写真を撮っていた 何かそーいった女の子らしさを意識させるような写真を残そうとさせた そこへ、第一子の妊娠がわかった そーいった途端に夫婦の蜜月が続くのでもあった 迷信に絆された女の子は、いらない存在であって、早くこの世から消えてくれた方がいいといった調子が見え隠れするのでもあった 待ちに待った長男誕生に沸くこの夫婦意は、長男の出生直後の写真のあまたが、物語る、、、この国家の長男に対する、異常なまでの絶対君主のような軍隊をにおわせるサガでもあった その犠牲に差し向けられた長女を推しつけられ宛がわれたそのドブさらいの孤児は、悲劇的な一つ一つを明かすそれらの証し、、、そんな中、保育制度が始まる 孤児家族の暮らす強制収容所からは、自転車でも30~40分もかかるような場所で保育生活ならぬ幼児用強制収容所生活が始まる 常に継母はリウマチスの激痛を抱え込みながらの自転車での、、、継母は何かに鞭打たれるような送迎さながらで、さらにこの孤児はその自転車の固い金属性の椅子にデコボコを繰り返され、その強制収容所に到着するまでには、尻が鞭打たれたようだった このリウマチス羅患者への周囲の対応は、薬物や断食といった通説に基づかれてもいた そのただ、日中を過ごすのみの場を与えられたのだ 孤児はそこで、当時絶大に支持されてもいた“アタックNo.1”のあゆはら こずえのイラストやその他のイラストを描いていた 描いていたなんていうよりかも、みんなから頼まれて描いていたにすぎない 兎に角、みんなしてみんなが、ただ縁ってきたのであった 不可思議だったが、事実は小説より奇なりという具合に、、、だった 驚いたただ孤児は驚きを隠せずにいたが、ただそのイラストをみんなの要望に応えようとしていたに過ぎないのでもあった 行く手には全滅といった未来だけが現れているのだというのに ただそーいったものも、民法上は誰だって、どーすることもできない全体主義の下に一方通行のようなものだからでもある この先には何が待っているのかというものは、真実は簸た隠しにされるのみなのだ
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