feud
2,000年以上にも及ぶ、現行の文明に関して云えば、ウィスキーを飲んでんだか、アルコールを飲んでるんだか、口内は、炎が立ち昇りそーでもある 炎を噴く芸でもできそーだ 2,000年が長いか長くないかは別としても、ただこーいった最中に縁を頂くといった今なのであって、これっていうのを変革しようとかどーとかこーとかっていうのは、かなりムリが祟ってしまいそーですね 実際のところは、気付こうが気付きなんかなかろうが、時間は進んでいくだけであって、どーすることも出来ません かといって、何もしないでいるというわけにもいかない 始めたからには、考えられるだけの多くの不都合とか怒りだとかいった憾み節にピリオドを討たせる 犯罪の根っこは、その犯罪を犯す本人が、どーいった人と人との間を通過してきたかどーかに縁るようにも思えるし、未だに受益者負担といった障がい者等の窓口現金負担という、現ナマ思考のナニモノでもなさそーである こんなにも、キャッシュレス思想が定着してきたにもかかわらずに この医療界隈における現ナマ上位の異端視は、遍くそれらをデータベースに組み込まないといった怠慢すら感じられてしまうに至るのでも有る しかしながら、患者本位のQOLに徹し研究熱心な窓口では、いかに患者さんには、現ナマその他諸々の悪魔的な加重債務を背負わせずに済ませるのかといったサーヴィス中心主義であって、寧ろ労働者側の原則優位に動く現行の医療界の‘医は算術’とされた呪縛を逃れ、信頼の宝庫へと人と人との間を結ぶのではなかろうか・・・ 2,000年問題は、Y2Kとした難題とされ、マスメディア等でも騒がれたものの特にどーという事態にもならずに経過していっただけではあった しかしながら、こーした課題のウラに秘められた過密な個人的な・・・とおぼしき、開高さん風に言えば、“オーパ’のような暴君の死なのではなかろーか そして、どれを優先させるかどーかで、血眼になって悩み抜いてから、決定打にはならないにしても、この国に籍を有してしまっている以上、使えない資本をどーしたら使える資源的なリソースに変えるかといったものでしか、封建的なものの観えかたのチェンジにはならないだろう 前方を眺めると、アルミ缶だとかペットボトルだととか、発泡ースチロール、サランラップ様のビニール袋やなんかが引っかかって滞留しっぱなしでもある 一部では流れてはいるものの留まる残留ブツもままならない ここで、“山オトコには惚れるな” といった唄がある これっていうのは、オトコならぬ、女にもあてはまりそーである 険しすぎるのかもしれないし、“孤独”というものを生涯に渉って求める質である場合には、本来は群れるのがスキかもしれないが、実の所は、悲愴感あふるる“孤独”を求めて止まないからでもある 兎に角、シツコク付き纏われることが多かったために一人の時間が全く持てなかったといった本末転倒といった事態がやってきていた この部分は、憶測があるのかもしれないが、自分的には、なぜ“孤独”になれないのか?といった難点が遇った ただ“孤独”を求めて数千里を歩いた後にその“孤独”は、実は悪魔の調べなのではなかろーかといった疑念すら涌いて来るのでもある 強制収容所から抜け出し、つかの間の“孤独”を味わうのも乙なものかもしれない “孤独”を好むただワタシなのである ただ単なる“孤独”とかいったカッコつけたものでもなく、異端視をさせないさせない繋がる“孤独”といってもいい そんな何か人らしさが問われてもいるのではないだろうか 西暦2,000年にして蘇ってしまった人と人の間をどーしていけばいいのか・・・?この確実なる問いを求め続けて“ヒューマンフォーミュラ”は、日々のゆっくりしたペースを楽しみにしてもいるのである たかが2,000年、されど2,000年かっ\(^o^)/といった調子なのかもしれません 偶数の区切りに対する和のなのかもしれないし、異端といった不平等な開眼からは、もうこれまでにして、終止符にするのでもある そして、今在り得るシステムの検証と、動いてない役立たずのシステムに研究開発の叡智を注ぎたいものでもある それがいかにして、行動しないのか、はたまた感情ならぬ勘定さえ存在しえなかったのか、、、 疑問は果てしなく続くであろうとも、真実に躊躇いなく振替伝票に記すのでもある そんな今さながらでもある なるべくにして、持ち物を少なくしたいといった概念が動き出している ‘持ち物’というのは、自己所有に起因されたモノではあるが、出来る限り“シェア”の精神に徹するのであるのかもしれない ただあまりにも極端すぎて、誰にも理解不能たらしめても困りモノでさえある 先の“山オトコには惚れるな”ではないにしても、気象が変化しやすく、どっち付かずになりやすいのかもしれない ただ個人的には、一途な肉体といった性魏感は存在し、ただ誰のモノともつかない肉体もあるのかもしれない そんな一部とされた観える部位を奪い合っててもどーしよーもない ここでこーしているだけなら、、、何一つ達成しないし、達成なんかそんな言葉自体が存在していなかったことになりうる マジメという呪いが占拠するこの場所に いつしか慣れてしまった飼い犬のサガでもある しかも忠実にといった‘ふろく’までもがただで付いてくるのでもあった 通常‘ふろく’でもおまけでも、特に決まりきった原理はないにしろ、出来る限り“シェア”の精神に徹する事ほど有益なことは見当たらない 個人的なある一部での‘政’といったまつりごとでは、稀少な選択肢のみでは全くの所、用を成さないという本質がわかったというよりも、解っていたのである ただ単に誰もが、“聖域”の名の下に嫁しづくしかないのも現状である 蓮華合掌
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