light and shade

このは なさくや

2009年05月14日 19:56

世の中の動きに時々ついて行きそびれる ついては行けないと言った方が正解だった 周りを見渡してみても誰もいなかったことの方が多かった 視界では確認が困難だったが、そこには移りゆく自然界がただあった  私と同じ病名の人々が早々といのちを誰からも拾ってはもらえずにバタバタと逝ってしまうことに本当に感極まり難い空間を観てしまうのは私だけであろうか もし日本の教育界が、出来なければ宗教界が、出来なければ個々の家庭が、男の子、殊に長男に背負わせるレッテルみたいなナンバリングを外せたら、どんなに空気がうまくなるかと感じてしまう そーいえば、昨日だって大型スーパーでの食料品売り場で、まだ5歳児ほどの男の子がママにきつく、大きな張り裂けんばかりの声で叱られて叩きのめされていた所に遭遇してしまった 男の子は「きゅうりを買わなきゃ」と言ってきゅうりの置いてあるところから離れずにいた ところが、ママは「きゅうりなんか誰が食うんだ」とかって、魚売り場から大声でイカってしまっていた 怒り狂いながら、きゅうりの場所まで駆け足で向かって行き、その男の子を頭を小突いて首を引きずりまわすようにして、私の眼前から遠のいて行った 震撼とした その後も、この親子が現れるのは、私のすぐ斜め横にぴったりといるので、会話が聞こえる 小さな声での会話ではなく、もう5m先でも聴こえるような声なのに隣にいる どうも、この男の子は上に姉のいるような長男らしかった 私は別に聴くつもりではなかったのだが隣にいたし、聴こえてきてしまった 所有物の何物でもなかった 肉や加工食品やジャンクフードに入り浸って、その中でさえも厳選しているようだった 厳選してもしなくても同じような氣がするのだが、そーしていた この時には、もう眼前からがかなり遠ざかっていた 考察をするわけではないが、どうもりんご★家のようだった しかしそーいった詮索はしない なぜそんなにも長男を叱り飛ばし、路線価に乗せたがるのか? ただそこら辺を感じる まだ幼児だとか児童だとか、そーいった時分には特段の意識はなにのかもしれない しかしながら、このような悪しきマザコンの醜態は社会人となってからその人格形成の歪みが噴出してしまうに過ぎない このようなことは蔑ろにされている 一部の人々しかわかっていない 全体の中に小さくなって埋もれているだけだ 中国の人が劣悪な住居に住まわされ、低賃金の御犬さまや御豚さまよりもヒドイ扱いをされているのと同じようでもある 私はこの眼で観てきてしまった 観ようとしたのではなかったが、そこにはそーいった映像が広がってしまっていたのである 本末転倒とはまさしくこのような映像でもあった 日本人のやりたがらない仕事であったりレイバーさながらのワークをとても喜んで、誰にも知られないように楽しくやっている どうしてこのような崇高な人間になり得るのか… 驚嘆せざるを得ないのである それも、在る日には、自分の方がどー考えても給料も、なにもかもが低い貧困と呼ばれている環境でありながら、もっと多くの賃金労働者の日本人に施すのである 何を施すのか ありとあらゆることを施すのである もうこういった進化の世界には、慈しみしか生まれてはこないだろう 蓮華合掌

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