トカゲの尻尾
何だかね、他のドーデもいいようなことは雑記に聴こえてしまうし、もっと違うことを考えないといけないのかなとも感じられて仕方がない氣がする 覆面広告の手法だとかっていうんじゃなくてね 何か私としては、トカゲの尻尾斬りみたいな感じもします 続くなるといなので、トカゲを捕まえてはみるものの尻尾が左右に振っただけなのが残って、本体のトカゲには逃げられちゃうというもの こういう手法は謎めいていて面白いとかね 今更ながらマインドマップを見返すと改めて観えてきてしまう観点がある いったいそもそも人間とやらは何のために生きているんだろうかとか・・・あまりにも、強欲な人間達の阿鼻叫喚とさせられた輩(やから)の存在的にも感じられてショーもない やはり、人間自体のやることには、国境というものが存在はしないように 生活に関わる人間本来の生き様だとかや行き様というのは、どこに行っても普遍性を帯びているわけで、そこでは、一体何がベネフィットかどうか?何かを考えていく 具現化させていく ラフデッサンを描くことなのかもしれないし、それは決して一人の個人的な単なる抽象的なイメージ画ではなく、あくまでもそこに存在する人間のQOLであることは間違いない ただ、そういった前例だとか、先駆的なだとか、お化けだとか、天使だとか悪魔だとかいった迷信じみた画に置き換えられてしまったので、これらを具体的に “自分のことですよ”というスタンスに置き換えてあげるような映像が求められているように思える でなければ、何処か果てしなく遠い遠い、時空的にも距離的にだって、及びもよらないような偏狭の地での単なる他人の戯言だといったことにさせられて、そういった風に片付けられてしまうんだ 既にかなりの期間をこういった無駄で無意味な時間を費やし続けてきたわれわれという感もしてしまわないでもない 要は、一番に迫害に晒されている人間にどう付するのかだとか、全く教育というものなんかを知らずに半径1kmほどの圏内を行ったり来たりしているような内地人の思いになれるかどうかに掛かっているようでさえある ほんの数分しか離れていないような人類が、限りない土つぼのただ最中に嵌ってもがき苦しんでいるのを放置できるだろうか?ただ、もがいてはいるものの助けは求めずに、自己解決に委ね続けその現地時間を闊歩させられているに過ぎないある意味、揺れの中で存在価値を見出しているだとか・・、多種多様なので、そういったモノは、結局はやはり、決め付けられないし、どう考えを及ばせているのかのみであって、他には何もない 私なんかは、博打に苦しめられてきた感がなきにしもあらずであるためか、宝くじだとかそのような博打の類といったものは買いたくない存在でもあったがしかし、博打もある意味では、心がざわめくような葛藤だとか、その興奮だとかのスリル感が味わえるとなるともう抜け出せなくなるといった調子なのかもしれない 所謂それは、依存症のような分類にされてしまうのかもしれないけど、いたって本人なんかには、依存などとは思わないし思えないわけで、大体にしてこのようなテーマで悩むといった自身に何らかの不遇なるものを感じずにはいられないわけでもある いいじゃんもう、過ぎ去った過去なんかを変えることなんか出来ないんですから・・・、今からスタートしていけばいいわけで、そんなとこで悩んでいたって始まらないぞていう何か明確なアプローチなんかを示していくことが善いのかなと・・・それによって、自分っていったい何者なのかな・・・?というのを感じること事態が、最大公約数的に必須事項だったりするんですよね 私なんかは、いつだって、“M51”なんかを背負っているような氣もしてしまう訳ですらあり・・・ 古典や古書に何かしら描いて記されてあった詳細っていうものは少なからず大事にはしたい けど、蔑ろにされがちなのが今なんですけどね 何も知らなかった頃のエピソードとかが今になって初めて役に立つような向きなのかもしれないです どこへ行こうが何をしようが・・・といった観点がポイントなのかなって思われます 蓮華合掌