日日、有難うございます
今日は昨夜からの雨が激しく降り続いています 天からの水分が干上がりそうな人間活動をうるおしてくれそうな氣もしました そーいえば、神宮寺の高橋住職の存在をうっかり忘れておりましたことを申し訳なく感じます ここで謝罪いたします 私などよりも住職がこういったことはプロなので、これは、また別の機会にお会いさせて頂くことにします 積もり積もりっぱなしのようでもありますが、何がザガットなんじゃいと御叱りを受けそうですので、ご期待に添えずに申し訳なく感じさせてます 以前から、こういったものや、何やらを提案してはみるのですが、あまりにも、個々での活動が多忙を極めておられるために取材の余裕もなくなっているか、若しくは活動もしているが、ライフワークというか、飲食いの日銭を何とかしなければならないような状況でもあるので、そこのところは何かしらの埋め合わせというか、議論とかいうと、焚火のようにも思われてしまいますが、意見とかいう薪をくべて、赤々とした炎のようなディベードが燃え盛ったり、燃え広がったりしてはするものの後にその炎が消え、そこに残った残骸のようなカスさながらの灰とか、真っ黒焦げになった炭素様のシロモノはいったい誰がどう引き取るのか?というか、そんなものは、そこに放置させておくだけでいいのか?私には、そのような野焼きや焚火の後始末に思えて仕方がありません どういうわけか、そう感じます もう跡形もない場合には、せめてもの弔いにそこここに弔いの木喰仏をひっそりと置くだとか、「あぁこんな場所で、こういった悲惨な瞬間が遭ったのか…?」といった、人々が眼にするたびに分かるようなふうな悼みの何らかの対象を設置するというのは、願ったり叶ったりなのかもしれない よく悲惨過ぎた交通事故だとかや、そういった現場には、遺族や仲間が花を手向けてあるのですが、花っていうのは、朽ちて腐っていくそれはそれでもいいけど、もっと言えば交通安全なんていうのより、もうそこで亡くなってしまったといった証を込めて、本来ならもっと生きながらえるはずに決まっていたわけで、無念な場所なわけですよね そういう所に限って、丸くて白いのがフワフワって浮いてきてますもんね コレッて私はみなさん見えると感じておりましたが、他の人は怖いだとか、そんなものは見えないとか、私なんかは音まで聞こえてしまう時もあったりしますが、みんながみんな見えるわけではないにしても、やはりこういう悲惨で無残な事故だか事件現場っていうのを何かと弔うのは、今後も必要かなって感じはしています じゃなきゃ、その御霊みたいなものが、無念さで何にかで出てきてしまう感じです まぁ、こういったことを言っていても、あまり信用はないのですが、私は自分がもうないからか、なんとも思わないし、むしろそれらの湧き出して来られるものに関して、最低限の礼のよういなもので御納めといっても善いのかどうか、わかりませんがそういう何かはあります ただ、私は果てしなく人間ですので、すべてがすべて、こうしろとかあーしろって言ってるというのではありません こうやって、人と人の社会が最果てのような惨めな お互いさまの精神という面では、まったくのところ発展途上国の本邦なので、それをやはり、一種の機会と捉えればいいのかなとは思ってます 蓮華合掌
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