教育のQOL

このは なさくや

2009年05月04日 10:05

日本も世界も法律をやっぱ、法治っていうことですから、忠実にしていきたいと感じ、この憲法問題があると思ってもいる そこで、私なんかは、いつ何が起こるかなんてわかんないような状況下に置かれてアタフタと忙しいので、緊急避難とかいう項目には、目ざとくそれが一番に視界に在って、特に“危難を避けるために已むを得ないでした行為”とかの項目にもあてはまるものなのかもしれないって感じです ところでですが、うちの周辺は、現在も尚、偏狭の地へと転落の一途を辿っているのです これは、1970年代前後に建設された、当時のアメリカの方々に言わせれば、俗称‘ウサギゴヤ’なんていうことをいっていたような長屋風コミュニティがあるのですが、これの明け渡しを地方自治体に向かって叫んできたのですが、未だに住民へは渡さないような状況が続いております 私は、Y2K問題前後に縁あって、IT関連の派遣をさせて頂いておりましたところ、その頃の世界情勢や、もっと云えば、私自身は、「こんなことしてていいのか?」といった危機感が沸いてきて、更に日本語教師にならなければならないというような・・・自分でも訳のわからない何かに憑かれてしまったというか、ミッションが先走りだしたようになって、その暴走が止められなかったし、「このままいけば、とにかく大変な事態になる」というような危機感が、自身の中で大噴火した氣もしていました 前置きが長かったんですが、そーです、移民の方々の労働の質とか、何か小さい頃から、私なんかは、この長屋の連中と、いつも仲良くさせて頂いてましたので、中国の人が、親兄弟や親戚連中を連れ立ってあのせまい部屋に折り重なるように暮らしていただとか、韓国の方なんかもいたりだとか、昔からそーいった低賃金で都合よく、言いなりになってレイバーといった作業に出稼ぎに来るというようなものが混沌として、同じように暮らしていたってことなんですね 他の人たちには知られないようにひっそりと、申し訳なさそうに暮らしているわけなんです それもどこからも誰からも引き取り手がないようなその労働者の多くが教育がなく、無智であり、特異性を有するモノ扱いを受けていて、それは‘ルンペン’の所産というものに起因するのですが、世界何れの国においても避けられない現象であるというのと、この‘ルンペン’の量的・質的に特異性(政策が何か知らない、憲法をしらない・・・・教育がない、出稼ぎにきただけ・・・無智)政治、経済、社会的状況によって存するのは明らかである(出典:浮浪と乞食の民族学) 
そんな中で人道的な観点に立たされた際のひとが人としての体温で、どういった態度を成すべきなのか? “こういったものがわかっていながらにして、放置されてきた” 軒並み‘クズ’扱いにされてきたというより、させられてきたというか、いつも私が口を酸っぱくして言うのは、“みんなが観ていたのにそーいうのはとか何とか言いがかりをつけて観なかったとか、そーいうやつはいないし、知らない”ということになっていたというのが、単に夥しい内地人なんかの暴動より、遥かに多く存在していて、それらの不浄なり汚い労働力を下支えさせられていたといえないだろうか 私は今ここでの緊急的な解決の結論を急ぐわけではない、にしても人道という視点からすれば、もう何もとりも直さず、こう駆け足でやらなければならない、特に住居の課題というのは、存在している人類を野や山やドブや水際にどうにでもなれとかいって、目の前の人類をないがしろにしている事実事態に一過性の感情を感じずにはいられないが、こうしたことで、悩むタイムロスなんかはいらないので、最終的には“あいこ”といった視点ではあるけど、あーなればこーなればとは感じられるけど、行動するのは、やっぱ本人次第だと思うのと、情報がないのと、それから…人出があまりにも足りなさすぎる  つべこべ言っても仕方がない ‘あぁまた、釈迦に説法か、馬の耳に念仏をあーだこーだと唱えてるのか・・・’ってね 苦しむわけですよね それこそ‘マグダラのマリア’の秘密の箱をひっくり返してしまったとか そういった何か憤懣やるかたない行動に走る 走り続ける 労力のロスと人類のカタツムリ化と、箱の中のみかんが、みんな腐りかけているような感じ イメージとしては・・・ですが そんなこんなで、また悩みのこぶが複雑化していく、限りなく・・・続きが終わらない 出来れば終わらしてもらいたいですが、尚も続く・・・こういった果てしなさに遭って、普段のルーチンワークやセルフヘルプでもある“体内時計の調整”など、隙を縫ってやらなければならない、とてつもなくロングランで利害関係がないものをこういった限られたタイムラグの中でやっていくということ 限られた環境の中でみんなと一緒に悩んだり苦しんだりバカやったり…そういった人間にしかやれないであろう普遍性の部分をピックアップしていく 完璧は求めなくていいし、完璧はないから、少しでもいいから地方にカムバックしてくるような手腕があればいいと思う きっとこれが最も優れた教育のQOLの向上でもあり、“生きてて善かった”というものを自然に感じられるんじゃないのかな 蓮華合掌

関連記事